2008年7月24日木曜日

カザックの絨毯




 以前、コーカサス地方カラチョフの絨毯を紹介したが、これはカザックの絨毯です。5年ほど前に西宮のアートコアで買ったものです。正確にはFachralo Kazakと分類されるもので、カザックを取り囲む村で織られる絨毯がここに集積されたことから、総称してコーカサスカザック絨毯と呼ばれます。現代のアルメニア共和国に属しており、ほぼ黒海とカスピ海の中間部にある山岳地帯です。特徴としては4つのメダリオンの形で、これがFachraloの特徴です。ボーダーのグラスワインおよびブドウ蔓のモチーフはカザックで多く見られるものです。この絨毯は特に左右の男女?の乗馬像がユニークで、また種々のモチーフが相当ランダムに配置され、おおらかで素朴に作られた感じがします。Tribal Rugの香りがします。20世紀初頭のものと思われます。修復もあちこちありますが、前回のカラチョフほど丁寧でなく、作品としては劣ると判断され、リペアーに金がかけなかったのでしょう。ただパイルはフルパイルとはいきませんが、まだ長い方です。もともとコーカサスの絨毯のパイルはペルシャに比べて短く、薄く仕上げられています。
コーカサス地方の絨毯は、もはや地元にはほとんど残っていません。長らく続く戦争、内乱で多くの避難民が流出し、その際に住民が持ってきた絨毯もロシアやトルコ商人の手で海外、特に欧米に売り払われています。

 「コーカサス 国際関係の十字路」(廣瀬陽子 集英社新書)を読むと、この地の複雑さがよくわかります。まず民族・言語グループの分布を見ると、コーカサス諸語系民族が15、インドヨーロッパ語族が6、アルタイ諸語系民族が7といった28を超える民族がこの狭い地域に
分散しています。諸民族感では母語では意思疎通ができないため、ソ連時代はロシア語が共通語だったようです。また宗教も多彩で、イスラム教のスンニ派、シーア派、キリスト教(ロシア正教)、グルジア正教、またアルメニアは独自のアルメニア教会が信仰されています。ちなみにアルメニアは世界で初めてキリスト教が国教化した国で(西暦301年)、アララト山(旧約聖書のノアの箱船で有名、トルコ領)を自分たちの故地だとしています。またユダヤ教もアゼルバイジャンやダゲスタンの住む山岳ユダヤ教徒で信仰されていたり、拝火教で知られるゾロアスター教やロシア正教で異端とされたモロカン教徒などもアルメニアにいたりして、全くバラバラな状態で、そこにロシア、アメリカ、トルコ、イランの利権やイスラム原理主義者などが入り込み、むちゃくちゃな状況に陥っています。

 絨毯で見られるように、この地は本当に小さな地区ごと(集落ごと)に独特なデザインが使われ、今でも大体絨毯のモチーフの特徴によって分類ができます。このことは逆に言えば、地域ごとでかなり独立していたことを意味し、独自の文化様式を保っていたのでしょう。ところがまずロシア革命後、ロシアの勢力下に置かれ、その後1991年のロシア解体後は多くの国が独立したのはいいが、紛争が多発して、難民が増え、これらのことで伝統的な村独自の絨毯産業はほぼ壊滅したといえます。

 この絨毯の2人の乗馬像を見ていると、コーカサスに関してもロシア革命前の国家としてのまとまりはなくても、それぞれの住民が共存していた時の方がかえって幸せだったような気がして仕方ありません。20世紀は民族自立をスローガンとして多くの国を誕生させてきましたが、こういった多民族、多宗教の地にそのような論理はかえって混乱をまねくばかりで、雑然とした中でのゆるい連帯が必要かもしれません。「日出で作し、日入りて息す。井をほりて飲み、田を耕して食らふ。帝力我において何かあらん」これは古代中国の堯虞時代の理想的な国家の形を示したものですが、一部の民族主義者を除き、普通の庶民からすれば施政者の影がわからないような国の方がかえって良いのかもしれません。

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