2009年6月12日金曜日

六甲学院サッカー部


 私のサッカー歴は結構長い。中学、高校、大学の12年間のうち、7年間はゴールキーパー、後の5年間はセンターバックをしてきた。当時は小学校にサッカー部があるところが少なく、多くは中学からサッカーをやり始めた。

 ゴールキーパーを除くフィールドプレーヤは自由に走り回れるし、何といってもゴールする喜びがあるが、その点ゴールキーパーはほんとに地味なポジションで、唯一手を使えることがかえってサッカーの本質に違反しているようで、疎外感があった。味方がゴールを入れてもみんなのようには一体となって喜べないところがあり、PKを防いでも自分にやったとちょっとガッツポーズをするくらいである。

 ゴールキーパーは練習自体がチームとは別メニューで、監督、コーチ自体もフィールドプレーヤーについては知っていても、ゴールキーパーには門外漢で、唯一の練習相手は、一級上の先輩と一級下の後輩だけである。このコンビで中学、高校を過ごすのであるが、私の場合、一級上の雲井さんは安定したGKで、一級下の中田くんはセービン技術が卓越していたが、私は全くぱっとしなかった。土のグランドでセービングに失敗すると本当に痛く、どうしてもセービングができなかった。見かねた監督が左右の足の横に部員を横たえ、それを飛び越えさせるように練習したりもしたが、なかなか恐怖心には打ち勝てなかった。

 当時の六甲学院のサッカー部は強く、神戸市や兵庫県の大会でも常に上位にあった。一級上の31期はメンバーも揃っていたし、何よりサッカーにかける情熱が違っていた。ハイライトは兵庫県大会に優勝し、第25回近畿高等学校蹴球選手権(昭和47年)に出場して、優勝したことだ。29期も強く、全国総体に出場し、国体選手も輩出したが、チーム力としては31期のチームがこれまでの六甲のサッカー史上最も強かったのではなかろうか。

 この大会は京都の西京極で行われたが、雲井さんが腰のけがが回復せず、急遽わたしが出場することになった。つい半年前まで中学生であったのに、いきなりこんな大きな大会に出場することになり、かなり緊張した記憶がある。確か一回戦は滋賀の甲賀高校?であったが、こんなたよりないGKを見かねたのか、バックがほとんどシュートを打たせないように踏ん張ったおかげで、楽勝した。次は赤いユニフォームの大阪北陽高校で、このチームは本当に強かった(昭和48年にはインターハイ準優勝、49年にはサッカー全国大会優勝)。ただこの試合から西京極のメイン会場で行われ、全面芝の会場であった。それまで土のグランドしか知らず、初めての経験であった。いくらセービングをしても全く痛くない。なんだ芝生で練習すれば、セービングも大丈夫だと本当にうれしかった。さすがに強豪で何本もゴールポストに当たる危うい場面もあったが、何とか1:0で勝利した。決勝は地元嵯峨野高校で、この試合からは雲井さんもカンバックし、安定したプレーで1:0で優勝した。優勝後はOBの方が阪急六甲駅の近くの中華料理屋で優勝祝賀会を開催してもらった。
http://www.green-ss.jp/highschool%20kinki%20Champion.html。)

 私の32期も結構強く、県大会の決勝まで行き、西宮東高校?で神戸高校と対戦した。グランドの横には神戸高校の大応援団、我が方は応援なし状況で、しょぼいシュートが右にきた。楽勝と思い、セービングしたところ、何と右手の下をするりと抜けてゴール。左の神戸高校の応援団からは大歓声、「あのGKへぼ」といった声も聞こえる。痛恨のプレーで、監督にも見放され途中で交代させられてしまった。結局大差で負けた。いまだに悔やまれる。

 ただ当時でも六甲高校では高校3年生の夏くらいには引退していたため、ぎりぎり高校総体には出場できても、冬の高校サッカー選手権には高校2年生のチームで参加した。

 チームメイトの大谷くんのお父さんが確か新聞記者でサッカー記事を時折サッカーマガジンに寄稿していたが、家に行った時にペレのサインを見せてもらい、本当に感動した。ペレは当時の僕らにとっては神のような存在であった。

 今でもチームメイトから母校のサッカー部のことを聞くが、あまりぱっとしないようだ。プロリーグができてからは、高校サッカーも格差ができ、進学校からよい成績を残すことは不可能となった。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

当時、六甲のサッカー部は強豪チームだったんですね(私的には六甲といえば軟式野球のイメージが強くスミマセン)。
現在はどうなんですかね?
サッカーである程度上を目指せる環境にあるのでしょうか?結構、甲陽や関学は強いみたいなのですが....。サッカー部OBとしてご存知でしたらご教示下さい(愚息は現在小学生で県下でも強豪チームに所属しているのですが...)。

広瀬寿秀 さんのコメント...

同級生のサッカー部のOBの話では、昔と違いリーグ制になっており、なかなか上位には上がられないようです。ちなみにJリーグの二代目の鈴木昌さんは六甲サッカー部のOBです。