2007年9月25日火曜日

菊池九郎 1


菊池九郎(1847-1926)は、全国的には知名度は低いものの、青森にとっては非常に重要な人物である。東奥義塾を創設し、数々な人物、珍田捨巳、山田兄弟、今和次郎、一戸兵衛などを育てた教育者としての功績は大きい。傑出した人格者として知られ、後藤新平などにも影響を与えた。これまでにも引用した 中学生のために弘前人物志(弘前市教育委員会)から引用する。明治期の人物を知るいいエピソードである。

「私は、6歳の時に父に死なれたため、叔父である菊池家に引き取られました。多忙な叔父は、あまり家に居ませんせしたが、それでも家のいるときは、少しものんびりしていません。小包の紐が落ちていれば、丁寧にほどいて束ねて抽き出しに入れたり、裏へ出てりんごの虫をとったりします。衆議院議員や市長という肩書きはそっちのけにして、道路に落ちている馬糞をひろい集めてきては、りんごの樹の肥料にするなど、よく働く方でした。叔父は、誰にでも親切で公平だったので、家に働いていた下男などは「旦那様の為なら、死んでもいい」とまで云ったものです」(菊池知学)
「明治25年頃、私は東京の先生のお宅に、足かけ3年ほど寄宿していました。そして、この家では主人、家族、雇人などが、みな平等に仕事をしているのに驚きました。たとえば、ランプを掃除したり、雨戸を開けたり、使いに出たりというのは、普通は書生がするのにに、ここでは家族の誰でもがやっています。食事のときも、先生、母上、書生、女中までがズラリとならび、主人も女中も、みな同じ物を同じように食べているのです。食事の時は無言で静かに箸をとるのが普通ですが、この家では、家族が談笑しながら食べます。平生家族と語り合う時間の少ない先生が、この食事の時間を利用していたのでしょう。ただ、西郷南州の話になる時は、先生は箸と茶碗をおき、両手を膝の上にのせて話をし、終わると再び箸をとって食事をしました。いかに西郷南州先生を敬慕していたかを、この事でもよくわかると思います。」(船水武五郎)
今の政治家、こんな人物がいるであろうか。

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