2008年1月11日金曜日
日本で一番派手な戦闘機
日本で一番派手な塗装をした戦闘機は、陸軍特別攻撃隊第57振武隊の4式戦闘機「疾風」であろう。この攻撃隊については世界の傑作機「陸軍4式戦闘機疾風」(文林堂 平成4年)にくわしく書かれている。昭和20年5月25日に沖縄周辺海上の米軍艦艇に突入して散華する。とくに派手なのは高埜徳伍長機(写真上)で、飛行第246戦隊梶並進伍長の97式戦闘機(写真下)と双璧をなす派手なマーキングである。特攻隊員は、特別許可により機体に文字や図案を自由に描くことが認められていたため、ドクロマークやいなずちマークなどが機体に描かれていた。写真を見る限りかなり稚拙で即席の塗装で、整備員が死にいく隊員のために突貫工事で色を塗ったのであろう。レーサーのような派手なマーキングにもかかわらず悲壮な感じがしてならない。ただ搭乗員にとっては最新の戦闘機に死に装束をして突入できたことはせめての慰みであったろう。中には練習機である「白菊」や赤とんぼとして親しまれた複葉機の「93式中間練習機」で突入を強いられた特攻隊員はさらに悲惨であった。航続距離が足らず、何度も中間基地で給油しながらの特攻であった。隊員の中にはせめてまともな機材にしてくれとの嘆願もあったのだが。中でも93式中間練習機で奇跡的な戦果をあげた第三龍虎隊は、戦史の陰に隠れた特筆すべき活躍と思われる。
戦争末期になると未熟な搭乗員にはまともな機材で特攻させるのはもったいない、練習機でも何でも使える機材で特攻させよという上層部の精神状態は異常としか言いようがない。ドイツのユングマン練習機を国産化した四式基本練習機、これは全幅7.35m, 全長6.62mという小型の複葉機で、重さもわずか630kgで、100馬力のエンジンで最大速度は180kmである。こうした第一次世界大戦並みの性能の練習機にも100kgの爆弾を一発搭載して特攻機にしようという計画もあった。美濃部正少佐が軍の上層部の研究会の席上で「劣速の練習機が何千機進撃しようと、敵グラマンにかかってはバッタのごとく落とされます」、「赤トンボまで出して成算があるとういうのなら、ここにいらっしゃる方々が、それに乗って攻撃してみるといい。私が零戦一機で全部、射ち落として見せます」と発言したが、こういったまともな考えもおかしいと思われるほど末期の上層部は狂っていた。
世界の傑作機「93式中間練習機」、「陸軍4式戦闘機疾風」、「陸軍97式戦闘機」(以上 1994,1989,1991 文林堂)および日本軍用機航空戦全史(第三巻 秋本実著 グリーンアロー出版社 1995)を参考にした。
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