2010年2月7日日曜日

山田兄弟24



 前回、南京の山田良政の碑について述べたが、ネットサーフインをしていたところ、孫文と周作人(魯迅の弟)の書が今年の1月16日の南京のオークションに出ているのを見つけた(http://www.njjdpm.com/newsdetail.aspx?id=12)。南京经典拍卖有限公司という会社が新春のオークションで出したもので、ひとつは孫文の「博愛」という書と、もうひとつは周作人の七言自作詩で、共に山田純三郎宛のもので、中国語は不明だが、22万元(約290万円)で落札されたようだ。中国の国宝級のものと宣伝している。

山田純三郎は孫文初め、辛亥革命の中心メンバーとの親交が厚く、彼らからの多くの書簡、書を持っていたし、また孫文死後も長く上海にいて、周作人や于右任ら中国文化人との付き合いもあった。戦後、日本への引き揚げに際しては、好きなだけ荷物を持っていってもよいと国民党から言われていた。しかしながら他の日本人引揚者と同様に身の回りのものだけを持ち帰ったので、多くの書や書簡を当時の国民党に寄贈した。その礼状は愛知大学に残っている。

 純三郎死後、その遺品は子息の順造氏のもとにあり、遺品はすべて順造氏から愛知大学に寄贈されたので、この線から孫文の書が流出する可能性はない。おそらく国民党へ寄贈された書簡、書のなかから流出して南京のオークションに出たのではなかろうか。オークションの説明では日本から里帰りしたように書かれている?が、むしろ台北あるいは上海から流れついたのかもしれない。

 ところで周作人という人を知っているだろうか。魯迅の弟と言われれば、そうかと思うが、私自身は全く知らなかった。たまたまロータリークラブで世話している中国人米山奨学生が周作人を大学の修士のテーマにしていた。調べるとこれまで日本寄り、対日協力者の小説家と評価されていたが、最近になり中国の大学でも評価されつつあるようだ。彼女はこの周作人に関する中国語による評伝を現在、日本語訳している。

 下の写真もある中国のネットから引用したものだが、キャプションには1923年1月16日、広州奪還して和平統一宣言を行った時の写真で、真ん中の左から廖仲恺、汪精衛(兆銘)、胡漢民、孫文と説明されている。この4人の前にいる人物こそは山田純三郎で、この写真からも日本人という枠を外しても、純三郎は古参革命家として重要な人物であったことがわかる。晩年の孫文にとっては、なくてはならない信頼のおける秘書であったのであろう。

 今年は上海万博の年である。是非とも日中友好の先駆けとして山田兄弟を中国でももっと紹介してほしいものである。

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オテモヤン さんのコメント...
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