2010年2月23日火曜日
青森県ウィーク 上海万博
今年の7月から中国の上海で万博が始まる。万博というと、僕たちの世代では、真っ先に大阪の万博が思い出される。私も中学2年生であったが、暇をみて4、5回は大阪千里の会場に行っただろうか。当時は外人を見る機会は日常ではほとんどなく、会場でも外人を見たらあたかもスターを見たかのようにサインをもらったりしていた。彼らにしてもびっくりしたことであろう。何もかも近未来的なイメージで、漠然と未来はこんな世界になるのではと思ったことを思い出す。中国で初めて行われる上海万博も多いに盛り上がるであろう。
青森からも青森県ウィークとして、県の観光、物産、文化を紹介する催しものが企画され、何千万円かの予算がついたようだ。本県のよさを多いに中国でアピールしてほしい。
本県は、山田良政、純三郎、菊池良一、櫛引武四郎、宇野海作など孫文の中国革命に命を捧げた志士を数多く輩出しており、近代中国の建設に貢献してきたことはすでにこのブログで述べてきた。青森県という狭いエリアでこれほど多くの革命家を輩出したところは他県にはなく、多いに誇ってもよい事績であろう。宮崎兄弟始め、中国革命に協力した日本人は多い。ところが実際に革命に参加して命を落とした烈士はほとんどいない。それに対して、山田良政は、明治33年の恵州起義で処刑され、櫛引武四郎は恵州起義、辛亥革命と転戦し、最後には大正2年の第二革命で南京で戦死した。また山田純三郎は孫文死後もずっと20年以上にわたり上海の残り、軍部との軋轢のなか最後まで日中関係の是正を祈願した。こういった実質的な革命の実践者、同士がいたのが青森県の特徴であり、彼らは中国革命を利用して野心を達成しようとか、金をもうけようといった私心はなく、軍部の拡張主義とは離れて純な気持ちで中国革命に協力した。
「水を飲む人は井戸を掘った人の恩を忘れない。」という中国の故事があり、2008年に来日した中国胡錦濤国家主席も松本楼にて孫文を財政的に支えた梅屋庄吉の子孫に謝意を表した。そういった意味でも、青森県出身の志士達はまさに井戸を堀った人々であり、もっとアピールしてよい郷土の遺産であろう。上海万博は多くの中国人が集まる機会であり、青森の物産、観光、文化を紹介するのもいいが、こういった先人の遺産についても、アピールして知ってもらうことは日中、日本と青森県の友好を考える上では、またとない機会だと思う。
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3 件のコメント:
こんばんは!
「阪口塾」で検索していてここにたどりつきました。
2007年8月3日の記事に私を含めて2名コメントが入っております。
見ていただけると嬉しいのですが・・・・
古いコメントなので見過ごしていました。阪口塾のところにコメントしました。
見ていただいてありがとうございました。
カメラマンの名前はご本人が了解するかどうかわからないので、また聴いておきますね♪
院長先生に直接メールが出せたら良いのですが・・・・
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