2010年4月22日木曜日

明治2年弘前地図(弘前城)





 今日は休みなので、弘前市立図書館に行ってみた。目的は弘前市史の付録として入って士族在籍引越之際地図のコピーを取ることである。この地図の原本は見たことないが、弘前市立博物館に納められているようだ。地図説明には「この地図は、廃藩置県当時の弘前城下の様子が分かる貴重な絵図である。一筆ごとに在住士族の名前が克明に記されているほか、明治4年以後、同十年代ころまでの変遷の様子も書き込まれている」とある。

 付録の図はかなり縮小されているため、はっきりしないところもあるが、今回の仮に明治2年地図としようは、この士族在籍引越之際地図とほとんど同じといってよい。書き込みもほぼ同じことが書かれており、同一作者の可能性が高い。ただ詳細に見ていくと、少しずつ違い、例えば弘前城の内部については明治2年地図の方が描写は細かい。全体的には明治2年地図の方が詳細である。

 東奥義塾の前身の藩校稽古館についても、士族在籍引越之際地図では所在が不明であるが、明治2年地図では下白銀町付近に記載があり、後の義塾と割合位置的に近かったことがわかる。

 保存状態もよく、彩色された色合いは実にきれいで、弘前に住んでいた画家村上善男さんの後期の作品を思い出させる。何らかのインスピレーションがあったのであろう。

 いずれにしても、どうしてこの時期にこういった地図が書かれたのであろうか。明治4年の戸籍制度、地租や郵便制度とも関係があるのか。ここに少なくとも2枚あるということは、同一作者により何らかの目的で書かれたもので、単に趣味で作ったものではない。注文主がいて、作らせたものと思われ、さらに枚数が書かれた可能性もある。明治初期の住宅地図は全国的にも非常に貴重であり、これほど細かく書かれたものは少ないと思われる。町の変遷が克明に把握できる。

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