2010年6月24日木曜日
弘前博物館「美人画の系譜」
弘前博物館で開催中の福富太郎コレクション「美人画の系譜」を観てきました。男のひとにとって、美人ほど魅力的な存在はありませんが、生の女のひとをじっと見ることは不躾で、こういった美人画でその欲望を埋めるしかありません。画面の美人はいくら見ても、怒られることはありませんから。福富さんの美人の基準は今風よりは、どちらかというと古風な美人で、そういった美人画に引かれ、集めていったのでしょう。系統的な美人画の収集というよりは、好きな作品を集めたようで、顔立ちも福富さんの好みが出ているように思えました。
今回の作品の中で、最も興味を引かれたのは、松浦舞雪の「踊り」という作品で、傑作です。戦前の阿波踊りを描いた、二曲一双の屏風で、昭和6年の製作とのことです。作者の松浦舞雪という方は、全く知りませんでしたが、かなり力量をもった作者です。カタログの解説にも、松浦舞雪については画業と足跡は不明となっています。阿波踊りを描いた作品の中では、最も優れた作品ではないかと思います。多くの作品では、編み笠をかぶった踊り子が集団で踊っている姿を描いたものが多く、祭りとしての踊りのダイナミックスを表現しています。
この作品では二人の踊り子が、腰を落とした踊り方、男踊りをしていますが、母親に聞くと、戦前ではこういった踊り方も多かったようです。また編み笠をかぶり、集団で歩きながら踊るのは戦後のことで、戦前は立ち止まって踊っていたようで、そういった点でも戦前の阿波踊りをよく現していると言っていました。右下の花提灯には富田という名前が入っています。また衣装は長襦袢を重ねて着込み、それを片袖脱ぎにしていますが、実に色っぽい感じがします。これについては徳島のブログではこういった服装はありえないとしていますが、母の昭和初期の脇町の記憶では、桃色の長襦袢をきていたようで、それほど違和感はないようです。
また三味線をひいている女の人は下半身をややせり出していますが、三味線を立ち姿でひくためにはこういった格好をしなくてはいけません。今にも踊りだすような踊り子、三味線線の音が聞こえるような奏者など実に巧みな表現で、画面の中央にはかんざしを一本置き、激しい踊りの余韻を示しています。徳島市のような都会では違うかもしれませんが、脇町のような小さな町の戦前の阿波踊りは盆踊りの風情を残し、太鼓や鐘などの鳴りものもなく、三味線と笛といった楽器を町内の名人が演奏しながら、町内を回っていたようで、いかにも情緒があったようです。この絵のコピーを母に送ったところ昔の阿波踊りを思い出したと大変喜んでくれました。
松浦舞雪という無名の画家の作品をコレクションに加えた福富さんの審美眼には敬服します。他には福富さんが最初に買った鏑木清方の「薄雪」も切ない。併設のショップで絵はがきを買い、カラーコピーでA3に4倍くらいにして見ると安い費用で楽しめますのでお勧めします。
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