2011年1月12日水曜日

山田兄弟33



 日中関係が依然としてぎくしゃくしている。尖閣諸島の件といい、つい最近の韓国警備艇への中国漁船体当たり事件といい、本質は精神に異常のある漁師の犯罪である。どちらの事件もビデオを見るまでもなく、あんな無鉄砲の操船はどこの国でも許されない犯罪であり、中国だったら、全員射殺されかねない事態である。それは当の中国政府自体が十分に認識しているであろう。

 他にも2001年、南シナ海上空で米国偵察機が中国空軍の戦闘機と接触して、米軍偵察機が海南島に不時着する事件があった。この事件でも直接の原因は好戦的なパイロットの挑発行為によるもので、結果的には中米の軍事的対立を招いた。2010年になっても、海上自衛隊の哨戒機に中国海軍の駆逐艦が速射砲の照準を合わせる行為をしたり、また中国艦隊の搭載ヘリコプターが海上自衛隊護衛艦に異常接近するといった挑発行為が絶えない。いずれも命令によるものではなく、一個人の勝手な行動である。

 さらに、あれだけ大騒ぎをして中国食品全体の評価を決定的に低下させた中国製冷凍ギョーザ中毒事件についても、どうも個人の犯行のようで、もともと中国人は公の概念が少なく、自分の行動が場合によっては戦争を引き起こすなんてことはこれっぽっちも考えていない。

 こういった個人の事件に対して、問題なのは中国政府の対応であり、国内向けの対応を優先し、謝罪せずに、逆に文句をいうため、話がこじれ、さらに事態が深刻化していく。日中間の経済の相互依存を考えると、中国、日本にとってこういった事件により関係が急速に変化することは不幸なことであり、両国民がもっと根源的なところでの信頼友好関係の構築が必要であろう。
「中央公論 2月号」に「中国・辛亥革命と日本人の100年」の特集があり、その中に私の好きな松本健一さんの論文が載っていた。「孫文の墓でアジアとナショナリズムを振り返ろう」というタイトルで、ある日中関係のシンポジウムで中国の外交官に松本さんが「来年は辛亥革命100周年ですね」と声をかけたところ、その外交官から「そうですが、日本には関係ないでしょう」と答えられ、多くの日本人が辛亥革命に協力しながら、中国外交官ですら全く忘れられているのにショックを受けたようだ。そして山田良政のアジア主義を解説しながら、明治以降の日本の変節と現在の中国のナショナル主義を重ね合わせ、原点としてのアジア主義をもう一度考え直すことで、日中関係を見直そうとする考えを述べている。そして日本政府は中国南京、中山陵で行われる辛亥革命記念式典に是非日本政府も出席し、日中連携の原点をもう一度考えようとしている。私も松本さんの考えにおおいに賛同する。さらに追加するなら、是非、山田良政の碑もこの百周年記念の年に再建してほしい。

 1927年11月に中国国民党により、山田良政の建碑が議決され、南京中山陵近くの楓林と呼ばれる丘に立てられたようであるが、実物についての記述は知らない。まず碑が中山陵に建てられたか否かの事実を確認しなくてはいけない。おそらく台湾外交部には資料があるであろう。

 次に建てられたとしたら、今はどうなっているかの調査が必要であろう。建てられたとしたら、日中戦争中に破壊された可能性は少ない。中支那方面軍の松井石根大将は、むしろ中山陵の保全に熱心であった人物であり、絶対に良政の碑を破壊することはない。一番可能性が高いのは文化大革命時であり、直後に中国に行った私の目にもその破壊状況はすさまじかった。辛亥革命に協力した国民党寄りの人物の碑が、この時期多く破壊された。その後、多くは再建され今に至っている。ここまで確認できれば、辛亥革命100周年を記念して日中政府が南京、中山陵に良政の碑を再建する必然性が生まれる。仮に、1927年に建碑が議決されただけで、実際には建てられなくても、議決されたという事実は残り、それに沿って、日本、中国、台湾政府で記念碑を建てるという口実はできる。

 私個人がこういったことを調べるのは不可能に近いが、日本政府が在中国日本大使館、上海領事館に命じて調べようとすれば簡単なことであり、また碑の建築代など些細な額であろう。「中央公論2月号」にはジャーナリストの松尾文夫の論文「歴史和解の不在が日本外交の躓きの石」が載っており、日本国首相による南京虐殺現場での献花を勧めているが、こういった加害者側から被害者への謝罪というやり方の効果のなさはこれまでも実証されており、むしろ辛亥革命には多くの日本人も一緒に協力したという歴史的事実から百周年記念式典に出席した方が国民サイドの共感が得られるではなかろうか。松本さんも言うように、こういった日本人がなぜ中国の革命を命がけで助けたのかを日中両国民が今考えることで、一個人の事件に左右されない関係が構築できるかもしれない。

 この雑誌の中で「革命を支援した日本人たち」(田中健之)として末長節という人物が紹介されている。この人物については私自身あまり知らなかった。まほろばの泉に末長節の写真があるので拝借する。前列右が頭山満、左が末長節、後ろ右が佐藤慎一郎、真ん中は竹内徳崔か?

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