2012年8月4日土曜日

海上自衛隊三木海将


 第43代海上自衛隊大湊地方総監に、三木伸介海将が726日付けで着任したことを先日の東奥日報で報じられた。実は、六甲学院の33期で、私の一期下である。面識は全くないが、今後の活躍を期待したい。

 海将というとピンとこない人も多いと思うが、旧軍の階級で言えば、中将である。自衛隊は一応、軍ではないという建前なので、昔の少尉は3尉、少佐は3佐となり、ここまではまあ何とか理解できるし、定着してきた。ただ少将以上の将軍については、陸将補、海将補、空将補などの将補が少将、陸将、海将、空将が中将となるとわからなくなる。そして統合幕僚長、陸上幕僚長、海上幕僚長、航空幕僚長の4人が大将となる。これら一種も職務であり、正式には階級名ではなく、あくまで対外的な公称で、陸将、海将、空将が最高位となるが、旧軍に比べても人数は少ない。かなり限られた人となる。これなどは早めに旧軍と同じ階級に戻すべきだと思うし、国会で決定すれば、簡単に変えられそうだが、また軍国主義復活などと叫ぶひとがでるのであろう。

 一戸兵衛陸軍大将のエピソードが「青森県の101人」が載っていたので、紹介したい。

「岡山第17師団長時代のある日、福山市近くの神辺村にある藤山先生の文庫を訪ねられた。この文庫は主に頼山陽に関する書画を収集していた。藤山先生は在庫品の中から中国の五柳先生の軸を取り出して、「これはどう読むのでしょうか」と暗に漢籍の力を試す質問を発した。ところが将軍は一目見るなり、「ああこれは五柳先生の作詞じゃが、如何にも見事なものじゃ」と感嘆され、請に応じられてさらに音吐朗々と素読を終わり、懇切丁寧にその講釈をされた。藤山先生は赤面してしまい、将軍の博学を讃えて、人に語るに「一戸将軍は日本有数の大漢学者である」と賞賛されたということである」

 珍田捨己らは東奥義塾の英語の方を勉強したが、一戸兵衛や陸羯南は漢学の方を勉強した。一戸も、漢学は幼いころは工藤他山に、義塾では兼松石居らに習ったが、弘前藩では単に論語、孟子などの古典を教えるだけでなく、作詞、注釈なども徹底的に教えたようで、そのレベルは英語同様に高い。

 乃木希典は日露戦争、旅順戦の合間に、よく一戸と自作の漢詩を見せ合っていたようで、漢学に対する造詣は陸軍においても、おそらくこの二人が突出していたであろう。もうひとつ、一戸将軍のエピソード。一戸は旅順攻撃の陣中でも、グローゼウッツ「大戦学理」という本を熱心に読んでいた。大島中将がからかうと「一戸はこういうところの方がより真剣に読めるのです。そして真髄にふれるものがあるのです。明日死ぬかもしれないこういう戦場での一か月の方が、平和時の一年より、はるかに勉強できる。部下を一人たりとも無駄に死なせないと思うと読まずにいられない」と答えている。いつも同じ本を三度読み返していたというが、これは漢文素読のやり方であろう。

 明治の名将、児玉源太郎も書を良くするし、立見尚文も漢学に素養がある。日清戦争戦勝碑が弘前城内の護国神社にあるが、児玉の楷書もなかなか達筆である。概して、明治の軍人は、武士の出が多く、幼少時に基本的な漢学の素養を受けた。後年の幼年学校出の将官の視野の狭さとは、こんなところも違うのかもしれない。

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