お盆休みは一日だけ。家内の菩提寺にお参りに行った後、中三デパートに行く。最近、ジュンク堂書店ができたので、ちょくちょく行くが、歴史物、ミリタリーコーナー以外はあまり興味がない。
いつもようにミリタリーコーナーに行くと、「帝国陸海軍の銃器」(ホビージャパン)という実にマニアックな雑誌が出ている。早速、立ち読みしていると、隣の若いにいちゃんも同じ本を読んでいる。こんなマニアックな本を読むひとはおそらく自衛隊員と考えたが、値段が2500円、興味のある分野であれば、それほど高いとは思わないが、こういったマニアックな本では、微妙な値段であったが、買って来た。
内容は、推察通り、非常にマニアックなもので、銃に対する思い入れは半端ではない。オール、カラーで、よくまとまったものであった。明治から終戦までの日本陸海軍の主要銃器について図表を使い、よく説明されていて、おもしろかった。床井雅美さん、杉浦久也さんはじめ執筆者の銃に対する思い入れは半端でなく、門外漢の私にも勉強になった。
一番面白かったのは、日本の拳銃の説明で、ここでは十四年式、九四式、二十六年式の拳銃について、詳細な説明がなされている。ミリタリー好きと言っても、多いのは私も含めて飛行機関係、次に多いのは軍艦関係、戦車関係と続くが、銃器となれば、二十六年式と言われてもすぐにピンとくるひとはほとんどいないであろう。二十六年式というのは、明治26年に正式採用されたリボルバー式、西部のガンマンが使うような回転式のシリンダーを持つタイプだが、こんな銃があったとは全く知らなかった。あまりパットしない銃で、不発が多く、威力も低く、命中精度も低い。ハーグ陸戦条約で、人体に命中すると変形するダムダム弾の使用が禁止されていたが、二十六式の銃弾は装甲されていない柔らかい弾にもかかわらず、初速が遅く、変形はなかったという。
将校になれば、各自、自分の収入で日本刀、銃を用意しなくてはいけないが、金があればベルギーのブローニングの自動式拳銃などを購入した。金がない下士官は安い、二十六年式銃を支給された。2.26事件では、侍従長の鈴木貫太郎は永田曹長、堂込曹長により至近距離から打たれ、左頭部、左胸部、左足に3発被弾したにもかかわらず、一命を取り留めたのは、この銃の低威力によるものであった。もし鈴木貫太郎が終戦時にいなかったと思うと、天佑といってもよい。
日本の銃の低性能は、スプリング、バネに用いる特殊鋼がついに、国産化できなかったことによる。コイルスプリングのような主要な部品が使用につれて次第に弾力を失うようでは銃の信頼性は低下するため、できるだけバネを使わないような設計にせざるを得なかった。また部品互換性も低く、故障しても部品を取り替えればいいというものではなく、熟練の職人が一挺一挺に合わせて調整していた。こういった大量生産の工業製品は、その国の基礎科学がベースとなるが、戦後はその反省か、我が国でもこういった部分の充実が図られた。
他に1939年に正式採用になった九十九式小銃では、対空照尺があったのには驚かせる。この対空照尺は、航空機の撃墜を目的にしたもので、ゴルゴ13ではあるまいし、小銃で航空機を撃墜しようという考え自体、合理的な認識がすでに欠けている。
1 件のコメント:
なんの策もないまま戦争の泥沼にはまり込んでしまった大日本帝国ではなく、無条件降伏という屈辱からはじまる戦後日本でもない。
ふたつの時代にふれたからこそ、私の脳裏にうかぶ国がある。
四海に囲まれ独立し力に満ちたその国は間違いなく我々の眼前に存在する。それが黄金の国ジパングだ。
コメントを投稿