今の検便というと、大腸がん検診を考えてしまうが、昔は主としてギョウ虫、がいるかどうかを調べるものであった。結構、多くの児童にこういった寄生虫がいた。昭和30年代、マッチ箱にウンチを入れて学校にもっていくのだが、マッチ箱といっても、厚みのあるやつに入れるのが一般的であった。ところが家には徳用マッチ箱はあっても、小型のものは父親が飲み屋でもらってくるような薄いものしかなく、検便のシーズンになるとわざわざタバコ屋にいってマッチ箱を買ってきてそれにウンチをつめていく。ところがどうしても厚い箱がない子供もいて、教室の前に並べられた各自の箱をみると、箱からウンチがはみ出ているものがいる。好きな女の子のものだったりすると、妙に変な気がしたものだ。友人の中には自分のウンチの代わりに犬のものを入れたりするものもいたが、毎年大騒ぎな行事であった。
小学校1年くらいでは、授業中に小便を漏らす子供もいた。授業中にトイレに行きたいと言えないためであるが、ある時、席の前の中村くんのところから変な臭いがして、中村くんは真っ赤になっている。思わず、先生に「中村くんのところから変な臭いがします」というと、先生ははっと気づいてトイレに連れて行った。その後、中村くんは卒業まで、糞たれとあだ名された。当時、トイレに行くと、汚いと言われたが、他のひとにタッチして、「べべんじょかんじょ鍵閉めた」と唱えれば、汚いことはタッチされたものに移るという遊びがあったが、この中村くんの場合は無理だっただろう。
小学5、6年生の時の担任の保田先生は、厳しい先生であった。宿題を忘れた生徒には給食時間、黒板の前で何か芸をさせた。大抵は歌を歌ったが、ひとりは一、十、百、千、万、十万、百万、一千万、一億まで、最後まで言えず、丸1年間、黒板の前で毎回、くりかえし、6年生になってようやく言えるようになった。もう一人は、九九を言うのだが、ついには卒業まで言えなかった。私はどうかというと、小学3年生までクラスのやっかいもので、授業を邪魔するということで、先生の横に机を並べられ、半年くらい、そこで授業を受けた。当時の担任の所見には「学習中多弁すぎて他人の迷惑をかける。自習中も自分だけができれば人に話しかけて困るのに注意をいくらしても自省しないのは理知的な子供としては少し変わった性格だと思う。よくよく考えてほしい」と厳しい。通知簿も図画を除いて3、4という成績であったが、どういう訳がクラスの人気があり、クラス委員になった。小学4年生になると兄について算数塾に行くようになると、半年くらいで6年生までの算数は終了した。学校の勉強も出来だし、今度は一転してクラス委員長になったが、「善良で級友には人気があります。よく意見を発表しますが、言語不明瞭ではきはきしません。調子に乗りやすく節度を欠きます」といまだに手厳しい。さらに小学5、6年生になると音楽は3、4であったが、それ以外はすべて5となり、評価も「成績はぐっと良くなり、努力心、注意力も出て来た。最後の仕上げよく努力しました。今の感激を忘れずに努め励むこと」と高いものとなった。昔の通知簿を見ていると、図画と体育だけは小学3年生からずっと5、さらに中学、高校に入っても美術と体育だけはどういう訳が成績は良かった。
今、教師の早期退職の件が話題になっている。3月まで勤務するより早めに辞めた方が退職手当が多いらしい。無責任とか、いや制度に問題があるなど、さまざまな意見があるが、一番気になるのは、先生という仕事は、ただの公務員なのか。言いにくいが、少なくとも私の子供のころの教師は、こういったマネは恥ずかしくできなかった。学校の先生という存在は、子供の模範であり、教師が金のために仕事を途中で投げ出すようなことは、子供にもそういった行為を許す、したらよいということになりかねない。子供の方も昔のように先生の家に行ったり、ごはんをごちそうになったりすることが少なくなり、お互いが教える側と教わる側という単純な関係になっているのかもしれない。教師の方が金のことをいうなら、納税者として、生徒の親としては、小中高校生で一人当たりの教育費は年間90万円かかっている。これはすべて税負担であり、ある意味、これだけの授業料を年間払っていることになる。であれば、とくに高校教師は予備校と同じシステムをとり、生徒の選択制をとり、任期も2、3年で更新し、不人気の教師はクビにするという考えもある。こうは言いたくない。教師の公務員化がさびしい。
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