2014年6月8日日曜日

第107回歯科医師国家試験の結果に対する日歯の見解


 先日の日歯広報を見ていると、「第107回歯科医師国家試験の結果に関する見解」というものが出ていた。国家試験の結果に日本歯科医師会がコメントを発表することは珍しい。

 というのは、今回の国家試験の合格率が、過去最低の63.3%だったことを受けて、あまりにひどいことからこういったコメントを出したようだ。一部内容を見てみると、

1.今回の国試の出題内容や合格基準が確かに一定であったとすれば、受験者の基礎学力の低下がもたらした結果ということになる。ならば、以前から繰り返し述べているように、養成大学は入学者の基礎学力の確保を念頭においた(定員、競争倍率等)選抜機能をもった入試を心掛けていただきたく強く要望する。
2.歯科学生の教育システムの見直し、変更への提案、要望 特に歯学教育の中に組み込まれているCBTOSCE(オスキー)という臨床実習開始前に実施する共用試験の機能強化が望まれる。

 歯科大学は、いつの頃から、臨床実習を軽視し、国家試験対策を重視してきた。昔は補綴実習などに多くの時間を割き、手先が動くことを訓練してきたが、今や技工物は技工士が作るから、君らは実際に作る必要がない、ビデオで十分だという学校もある。さらに6年生になるとすべて実際の患者さんの治療を行い、その補綴物もすべて自分らで作ったが、今やほぼ見学だけで、国試対策が一義となっている。つまり大学6年間が国試対策に費やされていることになる。この状態での合格率60%台なのである。

 当院も研修医指定機関となり10年以上たつが、到達目標が掲げられ、個々の研修医の達成度をチェックするようになっている。ただはっきりいってこの到達目標は抽象的なもので、判定する当方もよくわからないし、研修医もわかっていない。例えば齲蝕治療については、「齲蝕の基本的な治療を実践する」に到達したか、判定するのである。アメリカを例に出すのは腹立たしいが、たとえばある歯科大学では義歯12セット、充填48本、クラウン10個、スケーリング30ケース、根管治療14ケース、抜歯20ケース以上の指導教官からの判子がないと卒業できない(イギリスでも冠20症例、歯内療法20症例以上、その他)。これはアメリカだけではなく、日本でもそうだったし、中国、韓国、おそらくヨーロッパの歯科大学でもそうであろう。こういった具体的な到達目標が日本ではない。症例を経験したら、そのサマリーを指導教官に提出し、判子をもらう。症例数が足りなければ、卒業できない。単純な評価法である。研修医療機関もそのサマリーを見ることで、ここまでは治療させてもよいと判断できる。

 一人前に歯科医にはArtScienceが必要である。Scienceのみを重視してもこの結果であれば、もはや歯科教育の崩壊である。日本以外のすべての歯科大学では、Art>Scienceの傾向があり、最終学年となると多くの患者を配当され、朝から晩まで臨床に明け暮れる。外科ができない外科医がいないように、理髪ができない理髪師がいないように、歯科臨床ができない歯科医はいない。この当然の教育目標が日本のみ欠落している。歯科医師会が大学に見解を示すなら、国試に通るような教育にしてほしいと提案するのではなく、きちんとした歯科治療ができる歯科医を育ててほしいとすべきである。単純なことで、患者さんが来て、診断し、適切な処置できればよい。

 こういうことを大学に言うと、ケースの種類、ケース数はどういった科学的基準で決めるのか、患者を使って試験するのは倫理委員会の承認が必要だとか、色々な難癖がくる。資料がないので論理的に答えられないが、日本歯科医師会の予算の一部でよいから、海外の臨床実習、ケース数、試験制度を調査してほしい。大学による調査は、自分らの臨床軽視の問題点から目を背けているので参考にならない。併せて海外の学者、臨床家による日本の歯科大学の臨床教育の外部評価をし、卒業時の学生の知識ではなく、特に臨床能力、手技を海外と比較してほしい。おそらくかなり悲惨な結果になりそうで、国試の合格率の低下、学生の質の低下よりよほど深刻な問題と言えよう。イギリス、北欧でも学生には100症例以上の患者を治療させるようで、6年間の歯科大学で一例も患者を治療しない日本の教育制度には驚くというよりあきれられている(研修医の1年を加えても、特に歯科大学の研修ではこれほどの患者配当はない)。

 知識はあるが手術がへたな外科医と論文はほとんど読まないが手術の巧い外科医の、どちらで手術をしてほしいか、自明のことであろう。こう言うと、知識もあって手術の巧い外科医を育てるべきだと反論するだろうが、知識がなく、手術のできない外科医は何だと言いたい。外科医ではない。

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