卓球の福原愛ちゃんの中国語は、ほぼ中国人のネーティブ並みで、やや東北なまりがあるようだ。そのため中国での愛ちゃん人気はすごい。小学校のころから、卓球先進国、中国への卓球修業を考え、中国語を習い始めたが、中国の卓球プロリーグに参戦し、チームメートと練習、一緒にいる間に、一気に上達した。もともと語学的な才能があったのだろう。ネーティブ並みに外国語をしゃべるようになるには、臨界年齢があるといわれ、幼少期に外国語に接していないと、なかなかネーティブ並みには上達しない。一般的な外国語である英語の場合も、長年、外国語学校や留学をしても、ネーティブ並みになることは本当に難しく、福原愛ちゃんの場合も生活の中で語学を覚えたからであろう。
中国革命においても、多くの日本人が革命に協力した。北一輝もそのひとりで、当時の北一輝の活動を描いた「評伝 北一輝」(松本健一、中公文庫)があり、最近、読んだ。読了しての感想は、革命家、思想家としても北一輝は先見の明のある優れた知性、カリスマを持つ人物であるが、こと中国革命について言えば、その周辺を走り回っていただけの印象が強い。確かに日本留学組を中心とした中国革命家との交流は強く、北が考える辛亥革命への批判、意見を、こういった人物に鋭く説いたが、それが実際の政策、路線に生かされている風ではなく、最後には失望して中国革命そのものから撤退している。他の日本人協力者、内田良平などについても同様な経路であり、多くの日本人の場合、中国語が話せないのがネックとなっている。唯一、宮崎滔天、梅屋庄吉などは中国語ができなくても、そのキャラクター、資金援助が卓越しているため、孫文と親しく、中国革命に関わってくる。
一方、中国語のできた萱野長知、山田良政、純三郎は、中国革命に直接的に関わり、戦闘に参加したり、武器の調達、閣僚の決定、政策などにも関与していた。当たり前のことであるが、革命という命をかけた運動に、外国人のお客様に本音、秘密をもらすことはない。中国人の場合、腹を割って、本当に信頼できる相手でないと、表面上は友好な態度を見せても、真の協力関係にはならない。その点、萱野や山田兄弟のような中国語の堪能な人物は、有利となる。
北一輝の「支那革命外史」や萱野の「中華民国革命秘笈」をみても、山田兄弟についての記載は驚く程少ない。山田良政は革命初期に戦死したが、山田純三郎との関係はもっとありそうだが、二人の著作からはその関係を窺い知れない。北一輝は内田良平の関係で宋教仁と、萱野は黄輿、宮崎滔天と山田純三郎は孫文との関連が非常に深く、宋教仁、黄輿、孫文との複雑な関係が、それを支持する日本人協力者に溝をもたらせたかもしれない。ただ宮崎滔天、山田純三郎は、革命の原理、思想的な側面についての理解は少なかったにしろ、純粋な想いと孫文への深い敬意と愛情は、終生変わらず、他の中国人革命家からもその人格を愛されたのであろう。宮崎滔天は「三十三年之夢」という本を出版したが、山田純三郎はわずかな論文があるものの、孫文、革命との関わりをほとんど著作として残さず、ついに黙したまま亡くなった。書くという行為は、一方で、革命に自分はいかに寄与したといった自慢に繋がることを知っていたのであろう。東北人らしいと言えば、誠に東北人らしい。
現在の日中関係を見ても、政治家、財界人の中には、中国通と呼ばれる方がいて、関係是正に奮闘している。ところが中国に長年住み、自在に中国語を話し、彼らの心情を読み解く人物は少ない。おそらく民間も含めて探せば、こういった人物がいるであろうし、福原愛ちゃんなども日本政府はもっと有効に利用してもよさそうである。先の日中戦争の折、和平工作は何度もあり、山田純三郎も関与したが、ついぞ日本政府は民間人の山田を政府の正式な外交官として扱うことはなく、官僚、軍人にその責務を託した。官僚と民間人の境が少ないアメリカと比べると、未だにこの点で日本は遅れており、せめて首相のブレーン(歴代の首相に中国問題をレクチャーした拓殖大の佐藤慎一郎先生のような)あるいはフィクサーとして、こういった中国人を知り抜いた人物が求められる。
日本人で最も、中国語がうまかったのは何と言っても李香蘭こと山口淑子であろう。中国人でありながら日本軍に協力したと、あわや死刑になりかけた。
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