2018年2月15日木曜日

歴史研究としての新聞、茶太楼新聞

東北一の規模を誇った武蔵楼

 須藤かく、阿部はな、アデリン・ケルシーの一次資料は、マウント・ホリキュール大学に残されているケルシーの自筆の手紙だけで、須藤、阿部についての一次資料は残っていない。手紙の一つでもあればいいのだが、これまでの調査では見つかっていない。

 ほとんどの資料は、当時の新聞記事に頼ったが、アメリカにはこうした古い新聞記事を扱ったサイトがあり、私がよく使っているのはNewspaper.comというもので、過去二百年分の新聞記事が公開されている。こうしたサイトの優れた点は、“Kaku Sudo”と検索すると、一致する新聞を探してくれるだけでなく、新聞の中の該当箇所も提示してくれる。古い新聞は印刷も不鮮明で、今の新聞より字が小さく、文章が多い。新聞から自分で該当箇所を見つけようとすると大変である。そのため、語句検索は本当に助かる。

 さらに友人を介してシンシナティー公立図書館に質問したところ、わずか1日くらいで関係する地元紙の記事を送ってくれた。図書館で古い新聞のデジタル化が行われているため、こんなに早く調査できた。これに対して、日本の図書館に質問すると少なくとも1週間はかかり、図書館員もいちいち本を当たって調べてくれている。ことに新聞記事に関しては。古いものについてはマイクロフィルムや製本されたものでひたすら探すしかない。

 近代史、現代史を扱う研究者は、どうも新聞記事は客観的な資料と見なしていないようだが、実際、ほとんど研究されていない人のことを調べようとすると新聞記事か、子孫の方から話を聞くしかない。今回に須藤かくについても何とか、その子孫までたどり着いたが、それでも100年以上前のこととなると、子孫もほとんど覚えていない。私の場合でも祖父、祖母のことはある程度わかっても曾祖父、祖母くらいになると全くわからない。

 以前から東奥日報のデジタル化を提唱しているし、実際に会社にはこうした検索システムがあるようである。ところが、弘前図書館には東奥日報のデジタル資料はなく、いつも何人かの人はマイクロフィルムリーダーにかじりついて調べている。アメリカのようにパソコンで簡単に調べられ、検索できるようなシステムが望ましい.新聞は、地方の情報の核であり、今後とも資料の価値はさらに高まるであろう。そうした意味から、東奥日報でも昔の新聞のデジタル情報を、自社だけでなく、青森県の主要都市の図書館に寄贈してほしい。さらに新聞はあまりいい紙を使っていないので、保存は難しく、早急なデジタル化が望まれる。

 もう一つ、どうしてもデジタル化してほしい新聞は、大正十一年に発行され、弘前の風俗を描いた「茶太楼新聞」がある。どこそこの遊郭にはどんな子がいて、どういう性格か、あるいは遊郭で起こった事件などを扱っている。古い遊郭のことは、小説や雑誌などでも取り上げられていたが、一地方の風俗を新聞という形でこれほど長く(1922-1940)続けたものはなく、大正、昭和の風俗を調べる基本的な資料となる。現在、神奈川近代文学館でその一部が保存されているが、確か弘前図書館にも資料があるはずである。現在、同新聞は蔵書資料の中にはないが、陸奥新報に昭和57年から連載された斎藤栄司著「津軽紅灯譚」には茶太楼新聞からの引用が多く、弘前図書館の資料を使ったようだ。どこかにあると思われるが、こうしたレアのものほど、早くデジタル化して公開してほしい。ちなみに「津軽紅灯譚」も明治から昭和にかけての青森の風俗を描いた長編連載で非常に面白ものだが、どうしたことか書籍化されず、新聞の切り抜きがバインダーに貼られて弘前図書館にある。著者の同意が得られたら、個人的にも書籍化したい本である。

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