2007年5月5日土曜日

下澤木鉢郎1




下澤木鉢郎(1901-1986)は下山竹次郎の次男として弘前市和徳町で生まれる。本名は喜八郎。和徳尋常小学校の卒業生かと思い、和徳小学校百二十周年記念誌を調べました。下山姓は何人かいましたが、喜八郎の名は見えず、どこで生まれ、どこの小学校に行ったかは
わかりません。大正5年(1921)に画家を志し上京し、途中弘前歩兵八連隊で2年間の兵隊生活を過ごす。大正13年(1924)にようやく第5回帝展に入選した。そのころ郷里に戻った木鉢郎をみた棟方志功は、木鉢郎の颯爽としたかっこいい姿をみて、あんな画家になれたら死んでもよいと思ったそうです。その後、版画家の平塚運一と出会い、版画家の道を歩むことになる。木鉢郎は旅と酒をこよなく愛し、1年の半分以上も旅をすることもまれではなく、各地を旅しながらスケッチや俳句を作り、作品を残した。木鉢郎を敬愛する棟方志功は彼の勧めで、版画の道に入ったという。
写真上は下澤木鉢郎版画集(北方新社、1980)に入っていた小冊に載っている写真を拝借したものです。58歳当時の木鉢郎である。のほほんとしながら頑固そうな風貌である。自画、自刻、自刷を徹底して守り、木版画の完成をがんこに守り通した。日本の版画界においても戦後は、抽象的でモダンな方向に向かっていったが、木鉢郎はそのような流行に流されず、己の道を貫いた。素朴てありながら的確な自然描写である。写真下は「しぐるる山湖」という作品だが、雪の表現、単純化した枯れ木の表現がみごとである。こんな風景はないように思えるが、実際こちらにいるとこのような風景はよく出会う。地元青森の風土を肌で知っている。
棟方志功の陰に隠れて、近年はほとんど評価されないが、多くの美術館の所蔵になっており、また弘前在住で先年亡くなった現代絵画の村上善男さんも高い評価をしている。風景画の構図と色彩のマッチがすばらしく、もっと評価されてもよい作家である。

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