2008年3月30日日曜日

山田兄弟 8




 平成22年(2010)が山田純三郎の没後50年に当たることから、東京在住のある人にメールで何らかのアクションをすべきではと相談したところ、山田兄弟の事跡は日本ー台湾ー中国を結ぶ共通応答と日本のセキュリティーにとって重要な意味をもち、弘前ー台北ー南京の三角軸にアジアの意思の象徴をみるとのコメントをいただいた。私自身、山田兄弟の知名度の低さを嘆き、多くのひとにその事跡を知ってもらいたい、とくに地元弘前の人々に知ってもらいたいと単純に考えていた。非常に興味ある指摘である。

 先の台湾の総統選挙では久しぶりの国民党が勝利し、国父である孫文の評価も高まるであろう。同時に中国においても天安門に毛沢東の肖像画とならび革命の父としての孫文の肖像画が春節、五一、国慶節に飾られるようになった。中国と台湾が孫文を起点にして交流を深めていく戦略である。先の太平洋戦争では、日本は中国を侵略したことは間違いない。19世紀的な乗り遅れた帝国主義に感化され、大陸への領土を求めた結果である。強国を目指すが、国土が狭く、資源もないこの国ではしかたがなかった点もあろうが、侵略は侵略である。この点について、日本と中国は合い通じることは難しい。ただその前の辛亥革命に関して言えば、日本人でありながら、この革命に参加し、協力した山田兄弟の存在が着目される。中国、台湾にとっても山田兄弟の事跡に感謝せざるを得ないし、その日中親善にかける情熱は今後の日本ー中国関係の範となれよう。

 日本の外交的な対中国戦略は、日本に友好的な国になってもらうことであろう。台湾と日本のような関係であれば、現在日本と中国を取り巻く多くの問題点も解決できよう。その言った意味から孫文を軸として、山田兄弟をキイとして日本ー台湾ー中国の新たな関係を作ることは、日本の安全保障上にも必要なことかもしれない。同時に台湾でも日本語の話せる世代は次第に減ってきており、従来のような親日的な国ではなくなることも危惧される。残念なことには日本ー韓国には、山田兄弟に相当する人物を知らない。

 辛亥革命のために、孫文ー山田兄弟は何度も、日本に対して、軍事的な援助を求め続けた。その都度、日本政府は煮え切らない態度をとり、失望させ続けた。最後には、アメリカが国民党を、ソビエトが中国共産党を支援し、その結果、中国と台湾の成立をみた。親米、親露国の樹立を目指したアメリカ、ソビエトのやり方が20世紀的な考え方で、あくまで領土的支配を目指した日本は19世紀的な考えであったのであろう。もしあの時、朝鮮、中国に孫文のいうような政策をとっていれば、不幸な太平洋戦争の起きなかったし、隣国に親日国家が存在することはアジアの平和、安全保障上でも重要な意味をもつ。そういった意味で、賢者の指摘通り、山田兄弟の事跡は今日的な意味をもつ。

 山田純三郎の没後50年に対して、何らかの記念行事をこの弘前で行うことはそういった意味でも重要である。中日、台日の友好のシンボルとして、中国政府あるいは台湾の協賛を得ることも不可能ではない。また孫文と山田兄弟の交流を知る多くの資料が愛知大学にあることから、山田兄弟の意思を継ぐ手段として貸し出しも可能であろう。「仁あり義あり、心は天下にあり」(1992)の著者で、今や売れっ子の保阪正康氏も、未だに山田兄弟への愛着は強く、講演者として適任であろうし、前出の本にしても文庫化が望まれる。山田兄弟の事跡を評価し、研究する人は存外に県外に多く、協力もいただけるであろうし、日本政府としてもこういったアクションを後押しすることは日中間の関係修復を図る上でも、有効な方法と思われる。

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匿名 さんのコメント...
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