2010年3月4日木曜日

弘前のそば屋



 観光に来る目的のひとつに、地元のおいしいものを食べたいということがある。せっかく来たのだから、できれば安い値段でおいしいものを食べたいというのは当たり前であろうが、お腹が減ってつい近場のところですましてしまうことが多い。あるいは有名なところに行っても味の方は拍子抜けで、値段ばかりが高く、それも行列ということもあろう。

 はっきり言って、日本で一番おいしいものが食べれるのは、東京であろう。何でもあり、それに比べると弘前でおいしいところと言われても、感動するような所はない。あまり期待されても困る。情熱大陸で紹介されたイタリア料理「ダ・サスィーノ」という全国的に有名な店もあるが、あまり地元民には馴染みがない(私は行ったことはないが、接待でよく行くひとに聞くと、すごいらしい)。

 観光で来る人には、是非とも地元の人に愛されているところに行ってほしい。味の方はたいしたことがないかもしれないが、それはそれで地元民に愛されている味であり、地方の味の好みを知ることもできる。

 お昼でお勧めできるのは、お城近くの「高砂」、新寺町の「會」という二軒のそば屋さんである。この二軒は弘前で知らないひとはいない。雑誌などで紹介されるような感動するような味ではないが、月に一回は何となく食べたく味である。高砂のご主人が以前何かの雑誌でインタビューされていたが、うまいそばを作るな、2流の味を目指していると言っていた。これは奥深い言葉で、うまい食べ物と言っても、毎日食べてもうまいもの、月に一度、年に一度、一生に一度食べてうまいものがある。常連さんが来て毎日うまいと思うものが、食商売の要諦である。これが2流の味の意味であろう。といってもこの店ではそばをゆでる湯の交換にこだわるのか、そばが出るまで相当長い時間待たされることがあり、こだわりがある。一方、會の方は、新寺町にあるため弘前の人には墓参りに後で行くところというイメージが強い。子供達にとっては會に行って、夏はかき氷とそばを食べるというのが定番になっている。お彼岸の時は相当混む。亡くなったがここの前のご主人町田さんとは晩年面識があったが、この人の古い弘前の知識の半端でなかった。誰それは、どこの家の出で、この家はもともとどういった歴史があるといった、いわゆる学問としての歴史ではなく、そこに長く住んでいる普通の歴史が語られた。本で読んでもわからないことが町田さんの頭にはいっぱい入っていて、そういった意味ではおしい人をなくした。

 昔、母の実家である徳島の脇町に帰省の度に、近所のうどん屋から出前があった。このうどんはおかしなもので、めんの太さが一本一本ちがい、めんの表面がぼこぼこしている。手打ちはまちがいないが、子供心にも何十年もうどんをうっているのだから、もっと上達してもよかろうと思うほど稚拙なものであった。継ぐひとがいないため、今はやっていないが、脇町の年配のひとにとってはこのうどんは忘れられない味であろうし、これがこの町のうどんであろう。

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