2010年6月17日木曜日

医療とアートの関係



 Artというと、通常絵画のような芸術作品を思い起こすひとも多いと思うが、医療のことをMedical Artと呼ばれるようにその意味は広い。ヒポクラテスの箴言「"Life is short, the Art long"」は「芸術は長く、人生は短い」と誤訳されることも多いが、実際は「人生は短く,術のみち(医術の道を極める)は長い」の意味であり、診断、処置などの医術の技を極めようとするには、人生はあまりに短すぎるといった意味であろうか。

 人間の体は、工業製品と違い、100%予想通りの結果になることはなく、大きな変異がある。薬を投与してもあるひとは、すぐに治り、ある人は治らず、ある人はもっと悪くなる。こういったことは科学の常識では考えられない。こうした変異に富む人体を治療する場合、個々の患者に合わせた対応、経験、手技が必要で、これをアートと呼ぶ。

 そのため他の学問と異なり、医学の分野では治療の良否を100%証明するのは難しく、「有意な傾向がある」といった表現しかできない事が多い。例えば、口唇口蓋裂の上あごへの初回手術がその後の患児の上あごの成長にどのような影響を及ぼすかといった研究をする場合、種々の手術法による違いを検証するには、同一の術者によってなされたというのが大前提で、同じ手術法をするからといって、術者を混在させて処理することはできない。この研究でも、ある手術法があごの成長にはわずかによいといった傾向がでたものの、むしろ同一手術法でも施設間の差が大きく、結論としては手術法より術者の技能が関係しているとなった。

 そうかといって、科学的手法による研究が必要でないということではなく、ARTとSCIENCEの両輪が現代医療には必要であり、アメリカで最も有名な医師William Osler は「Medicine is an art based on Science 」と端的に表現している。最新の論文をよく読み、経験と併せて治療する必要があるが、ただこの論文というのも、くせ者で、結果が研究者によりころころ変わるため始末に負えない。

 矯正歯科の分野でいうと、親知らずの萌出が下の歯列のでこぼこに影響するかといった議論に対しては1970年ころまでは影響するといった研究が多く、親知らずは抜かれていたが、その後1980年になると関係ないといった研究が多くなり、それで一応の結論が出たとなったが、再び2000年になると関係するといった研究が出てくる。こういった例は多く、定説が確立されそうになると再び、それに反対する説もでてくる。お互い、一応科学的根拠に基づくため、やっかいで、どちらが正しいかは、最初言ったようにあくまで傾向があるといった結論しかでないため、証明は難しい。結局はドクターの経験により判断されるしかない。

 研究者の多くは、研究を始める前にある仮説を立てる。それに基づき、研究計画を立て、実験を行い、結論を出す。ただ常に仮説が頭にあるため、どうしてもバイアスがかかってしまい、それが結論に影響することはある。Aグループが大きいと思えば、どうしてもAグループを測るときには大きく測るし、実験結果に有意差がでないと、差がでるまで被験者数を増やしたり、測定法を変えたりすることもある。また差が出ないと研究をやめるため、どうしても差があった研究しか世に出ない。研究者によっては20年前に出した自分の研究と全く違う結果を出してしゃあしゃあとしているひともいて、そういうひとに皮肉を込めて質問すると「科学は進歩するんだよ」とのたまう。読み手も、実験方法や考察をよく吟味し、常に否定的に考えないといけない。

 同様なことは患者さんにも当てはまり、例えば歯科医が「インプラントの成功率は95%であるので安心してください」といっても、これはあくまである研究結果であって、そう言っているドクターの結果ではない。中にはこれまで10例しかやっていない場合もあろうし、やり始めて3年しかたっていない場合もある。こういった場合、95%の成功率はあくまで参考程度しか意味をなさず、正確には「スウェーデンのA大学のA先生のところでの5年観察した結果は95%の成功率でしたが、私のところではこれまで10例して3年以内に抜けた例は3例でした」というしかない。ここで患者さんにとっては前半の95%成功率のくだりは関係なくなる。

 論文をよく検討し、いいと判断したなら、それを少数の患者に応用し、評価する。必要なら修正および中止を行う。その後は、ルーチン化していき、大勢の患者に適用していくが、その過程で不良な結果が出ることがある。診断の際に、不良結果がでる群を分別できればよいが、そうでなく、不良結果が深刻であれば、やはり中止となる。

 こういったことから、医療はアートであり、そのことは患者も医師もよく理解しておく必要がある。

9 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

矯正を検討中の者です。韓国の女優さん、俳優さんは矯正?をしている人が多いと聞きましたが、この前ドラマを見ていたら(上の歯 総入れ歯なの?)と思ってしまった女優さんがいました。上の歯が本人の輪郭より大きく見えたのです。矯正をして歯の見た目は良くなったかもしれないけれど、トータルでいったら見た目が悪くなったのでは?と思ってしまいます。そういう場合でも、ものを食べたりして歯や顎をよく使うことでだんだん自然な見た目になっていくものなのでしょうか?せっかく矯正したのに、悪い意味で顔が今までの自分と違ってしまうと矯正の意味も半減する気がします。

広瀬寿秀 さんのコメント...

韓国の女優、男優さんの歯を見ると、矯正治療というよりは差し歯で治しているケースが多いようです。あんなに白い歯を一般人ではある意味、異常です(平均の白さではないという意味で)。矯正治療では自然な美を追求していますので、必要であれば抜歯して口元の自然な美しさを求めます。担当の先生とよく相談して、みてください。

匿名 さんのコメント...

 はあ、やはり矯正ではなかったのですね。顔が平面になってしまっている人が多い気がしたので気になってました。一度差し歯にしてしまったら、もう矯正はできないのですか?

匿名 さんのコメント...

 補足していうと、総差し歯状態になってしまったらもう自然な表情の歯へ整えることはできないのか、ということです。

 正直そんなあっさりと見た目のためにインスタントに差し歯にしてしまったら、将来的に体のどこかに異常が出てくるのでは?と思います。

匿名 さんのコメント...

 度々すみません。先生から見て有名人で歯並びが自然できれいな人、表情が豊かな人は誰ですか?

広瀬寿秀 さんのコメント...

何もしないで完璧な歯並びのひとは50人にひとりもいないでしょう。そういった意味では、笑顔が素敵な海外の女優さん、有名人で矯正治療していないひとはほとんどいないと思います。ダイアナ妃も子供のころに矯正治療していました。差し歯にした歯を歯根の神経をとることが多く、歯の寿命は減りますので、できれば避けた方がようでしょう。差し歯の歯も矯正治療できます。

匿名 さんのコメント...

歯や矯正についての質問です。下の歯は親知らずが生えかけているのに、上の歯には生える様子もありません。上の前歯2本がハの字に生えていて、そのくらい場所がないからでしょうか?それとも遺伝的にありえることなのでしょうか?

 それと、最近軽い頭痛がよくあります。両方のこめかみの上辺りが押される感じと、下の歯が全体的に中央に向かって押される感じ、特に下の歯の前から左右5番目の歯に力がかかっている気がします。とても不快です。矯正をすれば改善されるものでしょうか?

匿名 さんのコメント...

 すみません、付け加えて言うと、頬骨や鼻の付け根にも違和感があります。

広瀬寿秀 さんのコメント...

上の親知らずは下より生えるのが遅いですから正常です。現代人では歯が生える場所が足らず、多くの症例で親知らずはきれいに生えません。
頭痛と歯並びの関連については不明です。私見では関係ないと思います。