2010年8月2日月曜日

三千枚の金貨




 好きな宮本輝の新刊「三千枚の金貨」を読みました。宮本さんの作品は、最近の作品では自伝的で油絵の自画像なような作品、代表作として「流転の海」、さらりとした中に人のやさしさを伝える水彩の静物画、風景画のような作品、「ここに地終わり 海始まる」のタイプに分かれると思います。

 本作は、どちらかというと水彩風景画的な作品で、登場人物は個性があっておもしろいのですが、重さは感じられません。内容のついては、あまりしゃべれませんが、主題である三千枚の金貨を桜の木に下に隠し、そのなぞを追求するという設定自体、現実にはあり得ないものでしょう。一種の妄想でしょう。また脇役のバーテンダーで18年間、ゴルフの練習場しか行かない長谷という人物が登場しますが、こんな人は実際いるでしょうか。登場人物に悪い人がひとりもおらず、全編がさらっとした感じで、リアリティーは少ないような気がします。それでも、いかに作家の世界に読者を引き入れるのが作者の力量で、その点では宮本さんはうまい作家ですし、手慣れています。登場人物の年齢設定もちょっと違和感がありますし、平成22年の現代を舞台にしている割に考えがちょっと古い感じです。パラレルワールドの別の次元の世界のようです。

 この作品のあちこちで、カラコルム山系の思い出が、モンタージュのように挿入されますが、これはすべて作者の旅行先での実体験でしょう。フンザで夜空に輝く星を見ているうちに無重力の中の浮遊感を体験したエピソードが語られますが、私も昔、ネパールのエベレストの麓のナムチェバザール近くで同じような経験をしました。4000m近い土地から見る星は、それこそ星降るという表現しかできないほど、間近に無数の星の存在を感じます。ずっと星を見ていると、自分の体がすーっと宇宙に吸い込まれていき、あたかも浮遊している感じになります。信仰のない私ですが、宇宙のエネルギーとそれに対比する人間のはかなさを痛感しました。こんな経験は未だにしたこともないですし、今後もないでしょう。この小説の中で最も幻想的なシーンであるシルクロードの風景が現実で、東京、京都の日常シーンが虚構であるのが虚実ないまぜにした小説のおもしろさでしょう。

 大学2年生の時、1976年だったと思いますがが、インド、ネパールに1か月くらい旅行したことがあります。日本から団体でインドのデリーまで行き、1か月後に、再びデリーに集合というまことにいいかげんなツアーで、大学生を中心に20名くらいが参加しました。ある女のひとは、「日本からはこの100ドル紙幣のみ持ってきたの。これで1か月こちらで生活するわ」と100ドル札をひらひらかざして見せてくれた剛の者もいました。私たち3名のグループはデリー、アグラ、ウダウプール、ジャイプール、カジュラホ、カシミール地方のスリナガール、チャンデガール、バナナシなど主としてインド北部を周り、途中ネパールにも行きました。インド旅行歴数回という私の高校時代の家庭教師と一緒に、日本では貧乏旅行しかできないので、せめてインドではできるだけぜいたく旅行をするという本来のインド旅行と違った旅を計画しました。おかげで、ウダイプール、レークパレスホテルのエリザベス女王の泊まった特別室の次の日は500円くらいの安宿といった起伏に富んだ旅行もできました。

 ネパールに行ったはいいものの、全く行き当たりばったりで、ネパールのカトマンズに入った我々は、王宮前の日本人の経営する旅行社でエヴェレストのトレッキングを計画しました。飛行機でルクラに行き、そこからナムチェバザール、エベレストビューホテル、シャンポジェにトレッキングに行くというものでした。旅行社にある「世界一高いところにあるホテル」という、当時できたばかりのエベレストビューホテルのパンフレットに誘われてのことでした。

 飛行機は6人乗りの山岳用の小型機で、当然乗務員はパイロット一人で、私は助手席に乗せてもらいましたが、高度が上下する度に一瞬無重力状態になり非常に怖い思いをしました。さらにルクラ空港は山の急斜面を水平に切り取ったような滑走路も短い、小さな空港で着陸時はあたかも航空母艦に着陸するかのようでした。山の斜面にぶつかると思った瞬間、ドントと垂直に着陸して、すぐに止まる。Stol機(短距離離着陸機)特有の着陸方法でした。

 ルクラからはシェルパー一人とポータ一人がつき、トレッキングを開始しました。山の斜面を切り取った小道や谷を歩いていくのですが、ナムチェバザールに行く途中で、日本人が経営するロッジがあり、途中ここで泊まりました。夜になるとこのロッジにカンテンを持った子供たちが各々10名ほど集まり、我々一同も知らぬ間に算数を教えるのを手伝っていました。70歳を超えたと思われる日本人で、いつから、どんな理由で、ネパールの子供達に教えているのかは忘れましたが、こんなところにも日本人がいて、学校を開いているのに随分感動した記憶があります。もう亡くなっているでしょう。この小説を読んでいて、ふとこんなことを思い出しました。写真は35年前のルクラ空港とトレッキング中のものです。ルクラ空港は舗装もされていません。

 本書には「広瀬」という寿司屋さんが登場して、同姓としてはうれしかったです。

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