2010年12月19日日曜日
ノルウェーの森
ノルウェーの森、見てきました。最近は映画館に行くことも少なくなり、前回「崖の上のポニョ」をたった一人の観客として見て以来です(映画館には私以外誰ひとりもいませんでした)。
目的は、我が母校、六甲学院がロケーションに使われたと聞いたからですが、わずか10秒くらい映像だけでした。がっかりです。村上春樹さんの作品は好きで、ほとんどの作品は読んでいますし、「ノルウェーの森」も好きで二度ほど読んでいます。村上さんの作品は映画化が難しく、本作品も作者自身なかなか許可しなかったようです。
舞台は1960年後半から1970年代で、私もかろうじてこの時代の雰囲気は知っています。まず、映画の服装に違和感があります。時代考証をきちんとしているようですが、あまりにも服が新品ばかりで、貧乏学生にしてはきれいすぎます。当時の貧乏学生はほとんど着た切り雀で、服装には無頓着です。きれいな映画ということで、しょうがない面もありますが、最後まで奇妙な感じがつきまといます。
また主人公の二人、松山ケンイチは体がもろ体育会系で、それでいて田舎ぽく、とても文学青年には見えませんし、菊池凛子も20歳になりたくない少女というより、魔女めいた場末のホステスの方が似合っている感じです。むしろ準主役の水原希子の方がちょっと小生意気で、つっぱった感じで、いい雰囲気でした。映画は内容のさることながら、主演女優、男優で映画の価値はだいぶ変わってきますが、特に今回は菊池凛子さんがミスキャストと思えます。
映像的には確かにきれいで、ヘリコプターを使って風を作ったシーンは髪の毛が乱れて本当に美しい表情が撮れましたし、また草原を二人で早歩きしながら語るシーンは長いレールを使ったワンショットのいい映像です。
木曜日の午前中だったせいでしょうか、映画館には50,60歳のおばさまが10名ほどいました。私も含めて、中年というよりはむしろ老年にさしかかった年代です。ただよく考えると、この人たちも1968年ごろというとちょうど20歳くらいで、今見ている映画の主人公や登場人物とぴったり年齢は重なります。何だか、あのおばさん達も40年前はあんな格好をして、あんな会話をしていたと思うと、不思議な感じがします。若い世代からすれば、自分たちの親あるいはじいさん、ばあさんがビートルズ世代で長髪、ベルボトム、ピース、フリーセックスなど文化の洗礼を受けているとは想像もできないでしょうが、事実です。私の親、祖父、祖母の世代は明治、大正で、圧倒的な世代差がありました。戦争の話をされても実感としては全く想像もできませんし、テレビどころか電気もなかったという話はまるで江戸時代くらい離れた感じです。それに比べて今の50,60歳代と10歳代の世代差は非常に小さいと思います。むしろ同世代間の差の方が大きいかもしれません。若いひとでも、ロックやコンピューターについて全く知らないひとも結構います。そういった意味では今はジェネレーションギャップより個人差の方が大きくなった時代なのでしょう。
「ノルウェーの森」を映画化する際、時代性を無視する、舞台を現代にするのか、あるいは小説に忠実に、1968年ころにするのか、迷ったと思います。最終的には小説に忠実にしましたが、却って村上さんの現代性がなくなったように思えます。小説自体、著者の実体験がかなり含まれていますが、それを時代も含めて映像化すると内容がぼけてしまった感があります。むしろ何時代がわからない方がよかったし、うがった考えをすれば、この映画の服装の違和感はそれを狙ってわざと変な格好をさせたかもしれません。もともとこの小説の発表当時から、こんな女の子にもてて、すぐに寝るようなことはありえない、ただの若者の妄想であると言われていました。それを映像にするとますますリアル感がありません。三島由紀夫の「午後の曳航」の映画化は舞台を外国にしましたが、ノルウェーの森の舞台も海外、時代も現代にした方がより主題がはっきりしたかもしれません。
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