2011年3月23日水曜日
土曜洋画劇場「裸足の伯爵夫人」
テレビで最初に放送された映画は、土曜洋画劇場の「裸足の伯爵夫人」だったと思います。昭和41年、小学5年生ころのことです。初めてテレビで映画が放送されると非常に話題になりました。当時、映画は映画館でお金を払って見るものだと思っていましたので、テレビ会社はタダで太っ腹だなあと驚いた記憶があります。
家族揃って、夜の9時の放送開始前からテレビの前に座り、テレビ最初の映画はどんなものかと固唾を飲んで見たような気がします。映画の題名は「裸足の伯爵夫人」、エバ・ガードナー、ハンフリー・ボガート主演というものでしたが、さすがに子供には難しい内容でした。映画自体はカラー作品ですが、当時は白黒テレビで、テーマー曲のボレロが劇中に何度の流され、内容は全く忘れましたが、どういうわけか未だにこの曲はよく覚えています。ちなみに家内や子供は全く聞いたこともない曲のようですが、当時土曜洋画劇場を見たひとには印象深い、メロディだと思います。エバ・ガードナーの豊満な肉体には子供心にも、肉を食っている外人はさすがに日本人とは違うと単純に思わせる存在でした。
番組終わりには、淀川長治さんが映画の解説をして、有名なセリフ「さいなら、さいなら」を言って終わるのですが、この淀川さんは当時でもよく知られたひとで、大人から子供まで人気のあった「ララミー牧場」の解説者として登場していました。このララミー牧場は大阪では夕方の放送でしたが、こんな時間にみんなよく見ていたと思います。以前、同年輩のアメリカ人とテレビ番組のことで盛り上がり、昔のこんな番組面白かったなあと話していましたが、ベンケーシ、トワイライトゾーン、コンバットなどはアメリカ人もよく知っていましたが、ララミー牧場はあまり知らないようで、日本だけで人気のあった番組かもしれません。
その後、土曜洋画劇場は日曜洋画劇場になり、さらに荻昌弘の月曜ロードショーや水野晴郎の金曜ロードショーに繋がり、テレビで映画を見るのが普通になってきました。反比例するかのように映画館に足を向けることはなくなり、家族別々でテレビを見るようになり、家族団欒としてのテレビの機能は減ってきたようです。また大阪に限定した番組編成だと思いますが、昼の3時ころからも冠タイトルのない映画番組をしていた記憶があります。「クォ・ヴァディス」を初めてみたのはこの時間帯でした。ひょっとすると月曜ロードショーより早い放映だったかもしれません。
テレビは私たちの世代にとっては、最大の生活品、なくてはならないもので、間違いなく最も影響を受けたものだと思います。「ルーシーショウ」や「奥様は魔女」で見られるアメリカは、本当にあこがれの存在で、番組に出てくる大きな冷蔵庫や1リットル入りの牛乳などはアメリカの物質文明をダイレクトに私たちに伝えるものでした。後年、大きなビン入りの牛乳が日本でも買えるようになった時は、これで日本もようやくアメリカに近くなったとの感慨を持ったものでした。昭和40年以降の日本人は、こういったテレビで知ったアメリカの姿を幸福の象徴として追い求めていったのでしょうし、アメリカ人と話していてもベトナム戦争前の1950、60年代が最も幸福な時代だったようです。そういった点では「裸足の伯爵美人」も、こういった時代を反映した作品で、落ち着いたらもう一度見てみたいと思います。自分が若い頃にはやってよく聞いた曲、音楽のことを英語では「My Songs」と簡単に言いますが、同じく各自に「My TV」あるいは「My movies」があると思います。
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