2011年3月18日金曜日
三十光年の星たち
宮本輝さんの新作「三十光年の星たち」を読了した。大地震後の、こんな時期によく本など読めるなと思われるかもしれないが、テレビ、ラジオで伝えられるあまりの悲惨な状況を、もう見たくないというのが理由である。
阪神大震災当時に比べると、インターネット、携帯は益々発達し、瞬時に多くの情報が簡単に見つけることができる反面、情報により自分が踊らされ、かえって不安感が増すようになった。歯科の例で申し訳ないが、こういった患者さんも増えている。例えば、口に潰瘍ができ、それを検索すると、さまざまな情報がそれこそあっと言う間に出てくる。調べていくと、どうも俺の潰瘍は口腔ガンかもしれないと不安にかられ、気になって気になってしかたがないということが起こる。実際、口腔ガンなどはめったにないもので、ほとんどは杞憂に終わる。これなどインターネットがなかった時代は、調べるにも「家庭の医学」といった本くらいしかなく、ひどくなるようなら病院に行こうと思っているうちに治ってしまう。情報が人間の心理的な処理能力を越えるからであろう。
本の内容にふれる。何をやってもだめで、親にも勘当された仁志という青年が、借金をしている佐伯から旅行の運転手と借金回収の仕事をすることを命じられ、そこから自分探しとそれを取り巻く様々な人物に接するうちに新たな目標を見つける。
前作の「三千枚の金貨」同様に、最近の宮本さんのスタイルで、主人公が様々な人間や場面に出会うことで、真実の道を見つけ、新たな人生を踏み出す、こういった内容である。今回のテーマは、目に前の結果を追い求めるのではなく、30年後をスタートラインとして、その30年を準備期間とするというもので、そういった人間やエピソードが随所に見られる。地球から30光年先の星というのは宇宙からすれば、非常に近い距離であり、一瞬の時間である。その一瞬の30年という期間をこつこつと自分なりにがんばることで、ようやく一人前になると。社会というのは、パン屋でも、大工でも、警官でも、あらゆる仕事は小さな存在の人間が懸命に自分の使命、JOBを果たすことで成り立っており、そういった個人の日々の努力により社会は動いている。地震が起こっても、いつも通りガソリスタンドの従業員はガソリンを売っているし、新聞配達の人も同じように配達している。自衛隊、警官、消防士も懸命にその職務を果たしており、こういった人々の努力がなければ社会は存在しない。色々な事情で人から借金することもあろうが、毎月少額2000円でもよいから、けっして諦めず借金を返し続けること、こういった社会の務めをきちんと果たすことが大事であり、それをないがしろにしない心持ちが新たな出発や困難に打ち勝つ力を与える。
最近の若者は、我慢がないというが、避難場における中学生や高校生の活躍をみると、自分たちよりよっぽどしっかりしている。この小説の主人公のような、もう少し我慢して継続すれば、一生の仕事が見つけられるのに、ちょっぴり我慢すればいい面も見えてくるのにと残念に思う。昔は、金がなく、丁稚奉公のような形で職業を強制的に選ばされた。正月以外は実家にも帰れず、ひたすら耐えるしかなかった時代に比べて、今は仕事もやめても親元で暮らせば、何とかなる。こういった恵まれた状況で我慢せよというのは昔に比べてよほど難しいことだが、私は若者たちの真摯な善意を信じる。地震後の30年は、こういった若者たちにより、今よりよほどまともな日本ができると信じるし、そのためには難しいかもしれないが、宮本さんのいうように、つまらないと思ってもやめずに、こつこつと一生懸命に毎日の仕事をすることが大事だと思うし、そういった点が日本人の長所であろう。
よりよき小説とは、人に生きる力を与えるものであり、宮本さんの次回作は是非、災害に受難した東北の人々に落ち着きと希望を与える作品を書いてほしい。物質的な復旧は進んでいくにしても、今後最も必要なことは人々への心理的なサポートであり、それができるのが小説家の務めであろう。私も歯科医になって、ようやく30年になったが、歯科医を続けてきた意味について今回の大惨事を通じてもう一度見直したいと考えている。
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