2011年9月15日木曜日

八幡神社のおんぶお化け



 八幡神社の天狗の話を養生会の講演会でしたところ、出席者から八幡様には「おぼさりてぇ」の昔話があると聞いた。先日、弘前市立図書館で探していると「青森の昔話」という本に、この話が載っていたので少し省略して紹介する。

 「昔、八幡様の奥の院のかげの大杉の梢に「おぼさりてぇ」という化け物が住んでいた。夕方から夜中にかけて「おぼさりてぇ おぼさりてぇ」と叫んでいくので、町の人々はおそろしがっていた。ある意気地のない男が碁に負けて、その罰として「おぼさりてぇ」の正体を見に行くはめになった。 夜遅く子供を負う帯を一本もって、八幡様に出かけた。一の鳥居までくると、社殿の方で「おぼさりてぇ」とうなるような声がした。二の鳥居までくると前よりも高く聞こえた。男はおっかなくてぶるぶる震えた。三の鳥居までくるといよいよ高く聞こえる。男は魂もきえる思いで、八幡様を拝んで、「おぼさりてぇ」と叫ぶ声のする奥の院まで、足もしどろにやってきて、「それ程おぼさりてぇんだら おぼさらなが」と、ふるえ声で叫んで背中を向けた。すると杉の梢のあたりから、ガサガサと物音がして、のきりと背中におぼさったものがある。男は、持って行った帯でしかとおぼって、やっとの思いで家の庭先まで帰ってきて、「ここさおりろ」といったが庭におりない。茶の間にきて、「もうこごさおりろ」といったがおりない。奥の座敷へきてもおりない。床前さつれて行ったが、「こごさおりろ」と言ったらやっとおりた。男はあんまりおっかなくて、ふとんをかぶって寝てしまった。翌朝、男の妻が起きて床前を見ると、何か光るものがあるので「おどさま、おどさま、床前ネなんだが光物アえさね」というので男は刀をとって行ってみると、そこには大判小判が一杯だった。」
全く同じ話が、島根、岐阜、福島、山形など全国各地にある。

 この中に出てくる、三の鳥居は、熊野奥照神社手前のもので、また二の鳥居は八幡神社の入口にある鳥居であるが、一の鳥居は現在見当たらない。拝殿横の今は唐門に続く、横開きの扉のところに小さな三の鳥居があったのであろうか。さらに地主(じしゅ)堂というのが、唐門横にあったが、文字通りここ一帯の氏神様を祀ったものか、京都の地主神社の末社か不明である。御吉兆場というは、縁起のよいとされる鶉(うずら)をここで飼っていた。

 神楽殿横当たりには「高林 昔、天狗住みし」となっているが、上記昔話の「おぼさりてぇ」妖怪とは別物の天狗がいたようだ。ばくち打ちと天狗にまつわる昔話は大円寺に見られるが、未だ八幡神社の天狗についての話は知らない。一の鳥居から八幡神社までは200、300mあるが、江戸時代は比較的広い参道で、左右には最勝院はじめ大きな塔頭が並んでいたが、夜ともなると、長い塀が続き、話の通り寂しい通りであったろう。今でこそ夜でも明るいが、随分昔宮崎医科大学に勤務していた時、官舎のアパートから外に出ると、月が出ている時はまだしも、月が出ていない夜など、自分の足元も見えない暗さで、近所のビデオ屋に行くのも怖い思いをした。

*明治二年弘前絵図は、紀伊国屋書店のみで売っていますが、3か月でようやく60冊売れただけです。インターネット、医院での販売が30冊、計90冊が全販売数で、この前、紀伊国屋に納入した20冊と手元にある15冊で、販売終了となります。もう少しです。再販はしませんので、ご購入希望者は早めにご連絡ください。

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