2012年1月4日水曜日

英国王室と刺青




 高橋紘著「人間 昭和天皇」(講談社)を読むと、昭和天皇が模範としていた君主、ジョージ五世が入れ墨をしていたという話が載っている。昭和36年にエリザベス女王のいとこにあたるアレクサンドラ王女が来日したが、その時、昭和天皇と王女との会話の中で、「五世は入れ墨をされていたんですよ。お若いときに日本に来られましたが、そのときに入れたものだということです」、「ロンドンで五世陛下が直接見せてくださったそうです」と、通訳の真崎秀樹を介して、そんな話があったようだ。何でも鶴が木の枝に止まっている絵だったという。

 正確には「降り龍」だったようで、若き日に訪欧した昭和天皇にすれば、よほど驚いたのであろう。さらにジョージ五世の兄弟5人のうち、四人までが日本で入れ墨を入れたようで、他にもロシアのニコライ二世も同様に日本で入れ墨を入れた。日本の入れ墨のぼかしの技術が高い芸術性のあるのものとして欧米でも名高く、訪日の折に皇太子達はひっそりと入れ墨をした。

 私自身、入れ墨はてっきり任侠の人たちがやるものだとばかり思っていたので、びっくりした。ちょうど紀伊国屋に行くと、小山勝著「日本の刺青と英国王室 明治期から第一次世界大戦まで」(藤原書店)という本が売っていたので、この正月休みに読んだ。

 幕末から明治初期に日本に来た外国人は、日本の刺青の美しさ、ことに図案の美しさ、精妙さ、ぼかしの技術に驚嘆し、船員を中心に日本で刺青をすることが大いにはやった。ちょうど日本の明治期に当たる1860-1910年はヨーロッパでは王室、上流階級を中心に非常に流行し、中でも日本の彫り師が刺青をしてもらうのが、一種のステータスシンボルになり、訪日の主な目的もそれであった。ただ日本では刺青は野蛮なものとして禁止されていたため、日本に来ても、これらの王族は隠れて刺青をしていた。これは後年になるが、1922年に来日したエドワーズ八世(皇太子時代)は、日本政府の大反対で結局できなかったことを大変悔しがったようだ(シンプソン夫人と結婚するため王位を捨てた人物)。

 当時の英国王室、上流貴族の多くの人々は刺青をしていたようで、他にもオーストリアハンガリー帝国のフェルディナンド大公、デンマーク国王ホーコン七世や多くのヨーロッパの王族が日本に来た時に刺青をした。当時の熱狂ぶりは、女性にも刺青をするものがいて、チャーチル首相の母、ジェニー・チャーチルも腕に蛇の刺青がされていて、通常は広い金の腕輪で隠されていた。当時の写真をみると確かに左手に広い金の腕輪をしており、パーティーなどでは出席者にそっと披露したのであろう。

 こういった上流階級の人々が日本に来ては刺青をしたが、法律で刺青を禁止していた日本では、断るのによほど困ったようだ。さすがに1920年になると、日英関係も力関係が追いつき、国禁のものはできないと断るようにはなったが。

 最後に同書は、ヤルタ会議に参加したルーズベルト、チャーチル、スターリンの三首脳はともに刺青を入れていたという共通点があったと締めくくっている。どうも最近の欧米のサッカー選手の刺青を見ても、刺青に対する抵抗感が日本とはちょっと感覚が違うのか。先日、大鰐温泉に行ってきたが、家内が後で言うには、子供連れの若い奥さんの背中に刺青が入っていたといっていた。刺青ではなく、西洋風のタツーが若いひとには流行っているのかもしれない。Wikepedia によれば。アメリカの18-29歳の年代の若者では、なんと36%もタツーを入れているという。

 子供のころ、尼崎という場所柄か、近所にはどういう訳か、刺青をしていたひとがたくさんいて、それこそ銭湯に行くといつも二、三人はそういったひとがいた。夏の夕暮れになると縁台を持ち出し、夕涼みしていた光景を思い出す。当時でも年輩の方が多く、今はああいった日本風の刺青をしているひとは少ないかもしれない。

 写真上は、チャーチル首相の母、ジェニー・チャーチルで、息子は碇の刺青を入れていたようだ。写真中はアメリカを代表する刺青師チャールズ・ワグナーで今日用いられているタツーマシンを開発した。

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