このブログでは弘前出身の偉人を主として取り上げてきたが、これは自画自賛、そういった目で見るから、偉人が多いと思うだけで、首相は出ていないし、歴史に名を残す人物も少ない。他の地域に比べて弘前だけが偉人が多いとは言えまい。
確かにそうであり、一戸兵衛陸軍大将、珍田捨巳侍従長、冒険家の笹森儀助、青山学院院長の本多庸一、ジャーナリストの陸羯南といった地元では名高い人物についても、全国的にはそう知られていない。さらにこのブログでよく取り上げられる山田良政、純三郎兄弟もつい最近までは無名に近かった。作家で言っても、石坂洋次郎は今や過去の人となっているし、葛西善蔵、佐藤紅緑、寺山修司といっても若い人はぴんとこないだろう。また武術家の前田光世、航研機の藤田雄蔵中佐、考現学の今和次郎などは、一部のマニアには知られているが、有名人とはいえまい。
最近でも奇跡のリンゴの木村秋則、現代絵画の奈良義智、宇宙探査機「はやぶさ」の川口淳一郎、弘前イスキアの佐藤初女、弘前高校出身というとスキーの三浦雄一郎、ホンダジェットの開発者の藤野道格がいるが、後50年すれば、まだ記憶されているだろうか。
8月9日の東奥日報のニュースで、世界的視野の人材育成を目指し、弘前大学、弘前市、商工会議所が協力して、海外研修を行う優秀な学生に対して、必要経費のうち学生では3分の2、社会人では半分を助成するというものが紹介されていた。こういった試みがなされることは非常に歓迎すべきことである。ただ制度があれば、優秀な人材育成になるかというと、これは疑問である。ロータリークラブでも交換留学生や財団奨学生などの制度があるが、厳しい言い方をすれば成果は少ない。優秀なだけでなく、まず志が重要であり、人から何を言われようと自分の信じた道を貫く意志が必要となる。
弘前の場合も、それなりの優秀な人物が出るが、中央で活躍すればするほど、地元に帰ることはなく、その子孫は中央に住むことになる。最初に述べた珍田など弘前出身者の子孫は、ほとんど東京など県外に住み、地元にはいない。歴史をみれば、優秀な家系から優秀な人材がでることは事実であり、遺伝的、環境的な素因が関係する。そういった意味では弘前、津軽では常に優秀な人材、家系は中央に流出し、常に新しい人材を出し続けることが求められる。いわば人物の供給源となるくらいの高い使命を持って制度を活用すべきである。
そのためには、制度も大事であるが、生徒に志を教える教師がより重要となる。吉田松陰が品川弥二郎に送った手紙にこういう文面がある。これこそが青年の心に響く教育であろう。
「人間僅か五十年、人生七十古来希、何か腹のいえる様な事を遣って死なねば成仏は出来ぬぞ。」
津軽人には吉田松陰が愛した「狂愚」の資質は確かにある。
津軽人には吉田松陰が愛した「狂愚」の資質は確かにある。
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