最近、月刊ポパイでサンドイッチ特集があったので、早速購入した(2014.9月号)ものの、字が小さく、読む気がなくなった。最初から最後まで小さな字で書かれているので、年寄りには厳しい。
この雑誌には思い出が深く、創刊号から買った記憶がある。創刊は昭和51年だから、20歳の時である。一浪しているので大学2年生で、ちょうど一人暮らしにも慣れ、女の子に興味が出て来た時期であった。それまで男性誌というと週刊平凡パンチやプレイーボーイしかなく、ヌードも興味があったが、それ以外の何らかのファッション、文化情報を欲していた。小学校1年生から毎週読んでいて、一時は一生やめられないとまで思った週刊マガジンも、さすが大学生になると自然にやめられたが、そうかといって朝日ジャーナルはちと難しすぎた。まあカッコづけのために読んだものの、内容は左翼の匂いがプンプンの雑誌で、当時からそれほど興味は持てなかった。
そこに登場したのが月刊ポパイである。その目新しさには驚くと同時に、すぐにのめり込んだ。ヘビーデユーティが特集され、シェラデザイン、ノースフェース、ケリーなどが紹介されると、早速、仙台中の店を探したが、そんなものはない。しかたがないので登山用具店に行き、それらしきものを購入した。数年経つと仙台でもノースフェースのパーカーなどを扱うようになると、毎日、生協でカレーを食べながら金を貯め、念願の60/40パーカーを購入し、ジーンズはポパイでしょっちゅう特集されていたリーバイスの501、そして黄色に青の線の入ったカンタベリーのラグビージェージ、フェニックスのナイロンシェル、ダウンベスト、足下はアディダスのスタンスミスに、タウチェという無名のデイパックという風体であった。残念ながらシェラデザインのダウンベストは高くて買えなかった。
さらに自転車特集が組まれると、すぐに自転車に行って店の隅でホコリまみれになっていた古い700cのロードレーサー(メーカーは忘れました)を3万円で購入し、この変態ファッショで仙台市内のあちこちを走っていた。おばさんからはデイパックを、「自転車で山に登るの」と聞かれる始末で、今やじいさん、ばあさんがデイパックをしょってるのを見るとおかしいな気がする。
休日になるとコットンパンツに、ダウンボタンシャツ、レジメンタルタイと紺のブレザー、そしてコインロファーという格好である。すべてポパイのまねである。そして名画座で映画を見て、広瀬通りのモーツアルトという喫茶店に行くのが定番であった。こういった努力にも関わらず、ポパイファッションはそれほど当時の女の子には理解されず、家内に会うまで百戦百敗の状態で、連敗を食い止めてくれた家内には今でも感謝している。
当時高くて手が出なかったもの、シェラデザインのダウンジャケット、ベストやレッドウィングのワークブーツ、トニーラマのウェスタンブーツ、そして憧れのブルックスブラザースのスーツ。今は何とか小遣いで手に入るようになり、買ったりするが、ときめき感は少ない。
その後、ポパイから兄貴分の雑誌ブルータスに変わったが、よく見ると、両者では活字の大きさが違う。ついでに小学生のころから未だに買っている雑誌は、「航空ファン」とその別冊「世界の傑作機」で、さすがに毎号買うことはないが、かれこれ45年になる。テレビで宮崎駿が鈴木敏夫さんの部屋でくつろいでいたが、宮崎さんは手元の紙に落書きをしていた。陸軍97式戦闘機の試作機、キ27試作機である。この人もああ航空ファンの愛読者と思った。
醒めやすいくせに、取りあえず情報は集めるという性格で、これまで定期的に購入していた雑誌は、「少年マガジン」、「子供の科学」、レーシングカーの雑誌(名前は忘れました)、「初歩のラジオ」、「航空ファン」、「世界の傑作機」、「天文ガイド」、「ポパイ」、「ビックリハウス」、「キネマ旬報」、「サイクルスポーツ」、「ブルータス」、「モダンリビング」、「モデルアート」、「Scale Aviation」、「マックファン」、「エルデコ」、「サライ」など、我ながら節操がない。音楽と自動車、鉄道関係がなく、また小説雑誌も買ったことはない。
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