阿部ハナと須藤カク
テレビ番組の企画案
1.概要
<シーン1> 医学部で学ぶ現代の女性、萩野吟子写真、医籍登録原本写真
現在、日本の医師のうち、女性医師の占める割合は約20%、さらにその数は増えています。パイオニアは、荻野吟子(嘉永四年—大正二年、1851-1893)で、幾多の苦難を克服して、明治十八年(1885)に医術開業試験に合格しました。今年で133年になります。医籍登録者の第二号は明治二十年三月に登録した生澤クノ、第三号は高橋瑞、第四号は本多センと、すべて済生学舎などの医術予備校で男性にまじって学び、その後、医術開業試験に合格して医者となりました。
ところがその後の医籍登録者をみていくと、第五号の岡見京はペンシルベニア女子医科大学、第八号の菱川ヤスは外国医学校(シカゴ女子医科大学)、さらに調べると明治三十一年四月に医師登録した須藤カク、阿部ハナもまた外国医学校卒業(ローラメモリアル女子医科大学)とあります。これだけ女性医師が増えた現在でも、わざわざ外国に留学し、そこの医科大学を卒業する学生はかなり少ないと思いますし、困難だったでしょう。彼女らはどうして外国に行ったのでしょうか。四人の明治の女性の物語です。
<シーン2> 岡見京のこと
岡見写真(クラス写真)、岡見写真(3人の留学生)、アメリカ、フィラデルフィア ドレクセル大学医学部
1888年のクラス写真には、その中心に横を向いた端正な東洋人女性がいます。岡見京(安政六年—昭和十六年、1859-1941)です。青森県下北郡大畑出身で、横浜で貿易商をしていた西田耕平の長女として生まれました。父は幕末、日本と上海の貿易を行うなど先駆的な考えをもつ人物で、娘には西洋的な教育をさせようと明治六年に横浜共立女学校に入学させました。卒業後、英語教師などをしていましたが、明治十七年(1884)に岡見千吉郎と結婚します。夫が渡米する機会があり、かねてから念願であった医師になるために岡見京は単身、ペンシルベニア女子医科大学に入学します。ここで三年、苦学し、優秀な成績で卒業します。帰国後、海外の医科大学を卒業すると医術開業試験は免除されるので、医籍登録を行い、明治二十二年からは高木兼寛の慈恵病院の婦人科主任として働きます。
<シーン3> 菱川ヤスのこと
未調査資料、横浜婦人慈恵会病院写真、横浜取材
菱川ヤスについては名古屋出身、父は政府の官僚であったとされますが、はっきりしません。明治四年にできた横浜共立女学校の最初の入学者の一人です。宣教女性医師アデリン・ケルシーは日本人の女性医師を育てることは重要と考え、女学校の卒業生の中に相応しい人物を探します。そして選ばれたのが菱川ヤスで、明治十八年(1885)に渡米し、シカゴ女子医科大学に入学します。卒業後、さらにインターンとして勤務して帰国したため、医籍登録は岡見京より一年遅れました。その後、根岸にできた横浜婦人慈恵会病院に勤務し、貧しい人々の治療を行っていましたが、病を得て、若くして亡くなりました。
<シーン4> 須藤カク、阿部ハナ
須藤、阿部の写真、ローラメモリアル女子医科大学の現在の場所、弘前市の生誕地
須藤カクは、弘前藩士、須藤新吉郎の娘として文久元年(1861)に弘前市で生まれた。父は幕末、函館で洋式土木を学び、維新後も政府の土木関係の仕事をしていた。好奇心旺盛のカクは、東京に英語を教える学校があると聞くと、上京する兄と一緒に明治四年に東京に向かいます。女子の学校がなく、男装して授業を受けたりしましたが、横浜に外国人の経営する女子の学校があると聞き、明治五年に横浜共立女学校に入学します。菱川ヤスの一級下、岡見京の一級上と思います。一方、阿部ハナについては、はっきりしませんが、明治五年に相模原の農家の娘として生まれます。二人とも卒業後、伝道活動をしていましたが、菱川同様にアメリカの医科大学に入学して医師になるべき、明治24年(1891)にアデリン・ケルシーと一緒に渡米し、翌年、シンシナティーのローラメモリアル女子医科大学に入学し、卒業後、1898年に横浜の婦人慈恵会病院で働き始めます。
<シーン5>
インタビュー
横浜共立学園関係者
岡見京の孫
須藤カクの妹の孫(ナッシュビル在)
日系アメリカ人女医
<シーン6> プロローグ
岡見京、須藤カク、阿部ハナのその後を追います。
岡見京は、衛生園などを経営しますが、医業はやめ、晩年は教会活動に従事します。須藤、阿部らは、経営方針の対立から慈恵病院をやめ、失意のまま恩師ケルシーの故郷、ニューヨーク州、カムデンに向かいます。農園をしながら、穏やかな信仰生活を送りました。阿部は42歳でここで亡くなりますが、須藤はフロリダ州、セントクラウドに移り住み、アメリカ国籍を得て、102歳まで長生きします。
今でもアメリカの医科大学を卒業するのは、知識、語学の点でも非常に難しいものですが、100年以上前の日本女性がチャレンジして優秀な成績で卒業したことは、すごいことです。彼女らは日本で活躍するチャンスは少なかったため、ほとんどの日本人は知りませんが、明治百五十年を迎える今年、もう一度、明治の女性達の女子力を発見したいと思います。
2. 取り上げてほしい番組
NHKスペシャル
歴史秘話ヒストリア
ドキュランドへようこそ
歴史鑑定(BS-TBS)
The 歴史列伝(BS-TBS)
世界不思議発見(TBS)
3. 参考文献
「ディスカバー岡見京」(堀田国元著、2016)
「須藤かく−日系アメリカ人最初の女医」(広瀬寿秀、2017)
「明治女医の基礎資料(三﨑裕子著、2008)
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