2019年2月11日月曜日

国歌が否定される国 韓国




 シンシアリーのブログという、韓国人の歯医者さんが書いたブログをよく見ます。最近のブログの中に、「31運動100周年記念行事推進委員会」が韓国国歌、愛國歌の作曲家が親日であるから、式典で国歌を流すのはふさわしくないと言っているようです。呆れはてます。愛国歌の作曲はアン・イテク(安益泰)、作詞はユン・チホ(尹 致昊)で、アンはウイーンでリヒャルト・シュトラウスに学んだ朝鮮を代表する偉大な作曲家であり、多くの交響曲を作っています。愛国歌は留学中に作曲され、大韓民国成立後の1948年に国歌となりました。ところがアンは2008年に民族問題研究所で親日派と認定されてしまいます。親日人名辞典にも日本の植民地支配に協力したとされています。また作詞家のユンは朝鮮を代表する政治家、教育者であり、本当の愛国者でしたが、親日派とされ、終戦後は売国奴、親日派として石を投げられたといいます。彼の31運動に対する評価も厳しく、“独立運動家に対して”自分たちは死ぬ勇気もないにも関わらず、他の純真な人々を死の谷間に押しやる呪われるべき悪魔のような存在“と手厳しい評価をしています。愛国歌の作曲家、作詞家はいずれも親日であり、韓国左翼に従えば早々に国歌を変更する必要があります。

 それでは肝心の3・1運動はどうかと言うと、これは191931日にソウル中心のパゴダ公園にて宗教指導者を中心とする33名が独立宣言を読み上げたものです。現在の文政権では最も重要な出来事とされ、今年は100周年を記念して大掛かりな式典が行われます。この独立宣言は、崔南善(チェ・ナムソン)によって書かれたものです。このチェも韓国の近代文学の開拓者ですが、朝鮮総督府に勤務し、満州の建国大学の教官もしていました。戦後は反民族行為処罰法にて処罰を受けました。現在でも親日派リストに入っています。さらに言うと、この運動に参加した33名のうち、親日リストに載るようになったのは、鄭春沫、崔麟、また後に独立運動に貢献したと言われる人でも戦前になくなったのは韓龍雲、劉如大、申洪植、朴東完、吉善宙、李弼柱、李昇薫、李種一鍾勳、梁漢黙、朴準承、孫秉熙純粋に抵抗したのは呉世昌、東鎮くらいで、金乗詐、申錫九は北朝鮮により処刑されています。呉、権のように純粋に抵抗しものでも、いわゆる独立運動に参加して日本軍と戦ったものはいません。親日リストに載る人以外は、ほとんど韓国政府から建国勲章をもらっていますが、この人たちも長生きしてなら親日リストに載ったかもしれませんし、逆に親日リストに載った人たちも早く亡くなったら建国勲章をもらったことでしょう。

 中国にあった大韓民国臨時政府の少数の朝鮮人以外の国にとどまった優秀な人たちは、日本政府と協力して朝鮮人の立場の向上に努め、その結果として日本からの自治権獲得を目指しました。非常に現実的な行動であり、多くの特攻隊志願の朝鮮人も自分たちの死によって少しでも朝鮮人の地位が上がればと考えました。いずれも非常な高尚な考えです。逆に朝鮮においても全く沈黙する、隠遁する、あるいは重慶において実態のない臨時政府を作り、何ら戦いもしなかった人々が建国の英雄となりました。

 大学で言えば、現在のソウル大学の前身、京城帝国大学の関係者はほとんど親日派であり、またそこを卒業して役人になったものも親日派となります。さらに名門校、高麗大学の創立者、金性洙も親日派リストに含まれ、梨花女子大学の初代学長の金活蘭もまたリストに入っています。日本統治下で活躍した朝鮮人はほとんど親日派ということになり、これは論理的には非常にまずいことであり、日本統治時代(1910-1945)に活躍した朝鮮人を全て否定することになります。朝鮮の近代化が進んだ時代でしたので、そうした近代化に関わる人々は親日派となりました。もちろん大統領でも朴正熙は満州軍の将校であり、また陸軍のトップ、参謀総長も1970年頃までほとんど日本の士官学校出身者で占められ、のちに親日リストに載ることになります。

 1910-1945の全ての歴史、人物を否定する韓国はおかしな国で、まさに細かな原理原則に固執する小中華、朝鮮そのものです。常識的な国であれば、戦後間もなくならいざ知らず、数十年も経って親日リストを作ったり、親日派の子孫の財産の没収などはしません。グレイゾーンがあってもこうした極端なことはしません。まして尹致昊のような偉大な人物が罵倒され、従軍慰安婦のおばさんが英雄視されるのは狂っており、それが韓国という国家です。


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