2019年2月26日火曜日

母と絵

脇亀太郎先生の絵

河野太郎先生が母をモデルにして描いた絵

 うちの母親は今年で96歳になる。まだまだ元気で絵を描いている。徳島県脇町高等女学校の四年生の頃、昭和14年頃から同級生、数名で同校の美術の先生から油絵を習っていた。その後、脇町中学校で美術の先生をしていた東京美術学校卒業で、かの黒田清輝先生にも習ったという脇町出身の脇亀太郎先生についた。脇先生は優しい先生で、絵もうまかったが、展覧会に出すわけでなく、中学校の先生として一生を過ごした。リンゴを描いた小品が我が家にあるが、なかなかみずみずしいリンゴが描かれ、うまい。息子がいて、うちの嫁と考えていたのか、この絵を母にくれた。戦後になるが、徳島県の洋画界の大御所の河野太郎先生が和服の似合う女性のモデルを募集していると人づてに聞き、母がモデルになったことは大分前のブログで述べた。60年ぶりの絵との再会ということで、徳島の新聞にも取り上げられた。その後、徳島市に住む河野先生のところへ、脇町から絵を習いに行き、結婚後は尼崎から船に乗り徳島市まで習いに行っていたが、さすがに子供ができると通うのは無理となり、そのまま絵を描くのを諦めた。

 母は、もともと絵が好きだったので、子供が大きくなり世話がかからなくなった40年ほど前からに日本墨相展を主催している武井泰道(むい たいどう)先生に師事して絵を習うようになった。それまでは油彩画を習っていたが、墨画は手早く描けるためにすぐに上達したようだ。かなり大きな作品も描いて、展覧会なども開いたり、NHK教室などで生徒にも教えたりしていたが、所詮アマチュアの絵である。この会が主催する展覧会などにもよく行ったが、どれもアマチュアの絵で、プロの画家には比すべき技量はないし、それを求めるようなものではない。絵を描いて楽しめれば良いし、それを人にあげて喜ばれ、もらった人も応接間に飾って気持ちがよければ良い。

 昔、ある知人から青森の有名なプロの作家の絵をいらないかと打診された。何でも亡くなったので家族が家にある作品を整理しているという。地蔵さん、仏像を描いた数点の作品であったが、どれも陰気で、数名に声をかけても誰も引き取らない。結局、葬儀会社が引き取った。まず絵でも人気のないのが、ヌード、仏像画、人物画などで、逆に人気のあるのが風景画、静物画、花鳥画などである。抽象画もあまり人気はない。いくら有名な絵でも地蔵の絵よりはアマチュアの花の絵の方がみんな欲しがる。

 絵を描くことは楽しいし、ボケ防止にもあるに、何より歳をとってからの生きがいになる。ただ個展を開いたり、先生と呼ばれるようになると、思いあがるようになる。そうならないように母にもずっと言ってきた。というのは本職の画家、つまり人に教えたりもせず、純粋に絵だけで生活している人は本当に少ない。多くの場合、教室を開き、その収入、あるいは生徒に自分の絵を売って生活している。田中一村のような絵だけで売り極貧な生活をしている画家に対して、ちょっと習っただけで先生気取りするアマチュアは大変失礼である。さらに幕末、明治の大画家、森寛斎の作品がネット上で1、2万円で売られているのに、アマチュアの下手な作品が銀座の画廊で数十万円で売買されているのもおかしい。ネットオークションというのは厳しい世界で、おそらく現役のほとんどの画家の作品を出しても数千円でも売れないであろう。絵というのは価格があってないようなものであり、数百万円と言われればそうだし、数千円と言われればそうなる。

 母はこうしたこともよく知っているので、作品の多くを人にあげたり、画題も人にあげて喜ばれる風景画や花の絵がほとんどである。アマチュア、プロでも画家というのはつい奇抜な作品を描こうとするが、こうした作品は描いた人の自己満足がほとんどで、人にあげてもあまり喜ばれないし、ましてやネットオークションに出せは数千円でも落札されないであろう。

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