2025年3月13日木曜日

幸せな家族

 



最近、幸せな家族とはなんだろうかとふと思う。両親が仲良く、子供も素直で、親孝行で、側からみても典型的な幸せな家庭がある。子供達は親の愛情に恵まれ、何一つ不自由なことはない。ところがこうした家庭では、あまりにも環境がよすぎて、その変化を求めない。子供が大学に入る場合も、家から通学できるところを親も子も希望するし、結婚して家をでることも望まないために、なかなか結婚できない。赤の他人と一緒に生活しても、親との今までの生活以上の幸せがないように思える。親も子供のいない日常生活はありえないと考え、結婚せずにいつまでも家にいてほしいと願う。そして両親と子供は、そのまま老いる。

 

昭和50年ころまでは、子供はいずれ結婚するという前提があり、女性であれば、23、4歳ころになれば、結婚するとされていた。そのため、親は何とか子供を結婚させようと躍起になり、あちこちの知人や親類に頼み、結婚相手を探した。親子関係が非常に緊密で、お互いずっと家にいてほしい、いたいと思う親子もいただろうが、それ以上に結婚せずに家にいることが許されない社会であった。結婚当初は親子ともさびしく思うが、家庭を持ち、子供ができると、そうした関係に次第に慣れていった。小津安二郎の映画の世界である。

 

ところが平成になると、結婚しない人が多くなり、結婚しないことに対する世間の批判も少なくなってきた。韓国映画やドラマでは美男美女が大恋愛の末に結婚する。ところがこれはあくまで映画であり、ドラマであり、実際の社会では、そんなに大恋愛はないし、できない若者も多い。現実に起こらないことを映画やドラマの中で夢見ているのだ。それではそうした若者はどうなるかというと、結婚もしないまま楽な実家にいることになる。周りを見渡しても結婚しないで、実家に親と一緒にいるところが本当に多い。それほど珍しい事象ではなく、もはや普通になってきている。

 

そこそこの給料をもらい、実家では部屋もあるし、料理は親が作ってくれる。休みには独身の友達と飲みに行ったり、旅行に行ったり、推しの歌手のコンサートに行く。知らない間に30歳をすぎ、40歳をすぎ、そして50歳、親も高齢となり、少しずつ世話が掛かるようになる。こうした家は多い。昔は、男女とも30歳までに結婚しろといったことが義務のようであった。結婚しない子供がいれば、親は近所、親類にみっともないので、何とか見合いでくっつけようとした。場合によっては結婚相手の顔も知らないまま結婚することもあった。少なくとも江戸時代から昭和50年頃まではこうした状況であった。そこには暴力的な夫に苦しむ妻の悲劇もあったろう。ただ江戸時代で言えば、今でいう離婚は普通であり、子供ができないと実家に追い返されることがある一方、旦那が嫌だと理由で実家に帰る妻もいた。単純に男尊女卑のものではなく、実家に帰ってきた女の人もまた良縁を求めて結婚した。別れ、結婚するというはそれほど恥ずかしいことでなかった。

 

日本でも、出生率の低下が大きな問題となっていて、それに対する予算、給食無料、保育園、高校授業料無償化などを含める莫大な費用がかかっている。ただ出生率を議論する前提として、婚姻率(事実婚も含む)を高めなくてはいけない。そのためには親子関係の見直し、高校卒業したら、一人で暮らす、親に頼らない生き方を選ぶ雰囲気作りも必要かもしれない。少なくとも就職するなら、実家を出ていくのが普通になり、彼女、彼氏と一緒に生活するのも自由な風潮が必要であろう。結婚制度、さらにいうと男女がカップルになるのは、単に生殖という観点だけでなく、太古の歴史から、合理的な仕組みであり、あくまで結婚、カップルになるのはいいという風潮を強くプロパガンダすべきである。そのためには、同棲、あるいは離婚、再婚に寛容な社会を目指すべきであろう。

 


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