2025年3月19日水曜日

初めての海外旅行


 


タージ・レイクパレスホテル










ジャイマハールホテル(ジャイプール)













私が初めて海外旅行をしたのは大学1年生の夏休みであった。1975年、昭和50年である。高校2、3年生のころ、家庭教師をしていた松谷徳八先生(以前のブログでも紹介した)がインドに旅行するので、一緒に行かないかと誘われた。インドは汚い、怖いというイメージがあったので、最初はあまり乗り気でなかったが、今回の旅行は豪華旅行で、各地の最高級ホテルを泊まるという。インドの物価は日本の1/3くらいなので、日本では泊まれないような高級ホテルに泊まれる。また松谷さんは何度もインド旅行しており、今回は友人と私も入れて三人で旅行するというので、思い切ってインド旅行することになった。

 

当時は団体割引で航空券は半額になったので、20人くらいの学生のグループがアリタリア航空に乗り、1ヶ月後のそこに集合してまた団体で帰るというツアーであった。1ヶ月間の全くフリー旅行であった。飛行機の隣の席には早稲田の学生がいて、すぐに仲良くなった。しばらくすると「あのスチュアーデス、昔俺が騙された人に似ている」という、何度がチェックして、向こうも見ないふりをしていたが、ついに「◯◯さんですか」というと2年前に彼が何かの詐欺で騙された人だったのが判明した。そのため、お詫びの印とてエコノミ席なので、飲みものやお菓子、飛行機会社のグッズなどいろんなものを持ってきてくれて助かった。

 

デリーに着くと、次の日にはアグラに電車で行き、タジマハールを見学したが、ちょうどホーリ祭りで、人力車に乗っている我々観光客に容赦なく、色付きの液体や粉を投げらレ、かなり腹がたった。タージマハールを見学後に、その向かいにある茶色の古い宮殿があり、あまりに暑いのと疲れで、三人して日陰で1時間ほど寝ていると、起きると多くのインド人に囲まれて笑われていた。ここでは古い細密画、ミニアチュール画を売る商人と親しくなり、その小さな店に行き、100枚ほどの細密画を見せられた。いずれも100年以上前のものと言っていたが、これは新しい、これは古いと選別していくと次第にそうだ、これは新しい、これは古いと言い出し、何度が初めから見ていくと、ほとんどが新しいものとバレてしまった。最後に残ったのは2枚で、これを買おうと思ったが高いのでやめた。

 

アグラの後はその西にあるジャイプールに行った。ここはマハラジャのホテルというジャイマハールホテルに泊まった。インド像に乗ったりもした。今は本当のマハラジャが住んでいたランバーグホテルというところが最高級ホテルだが、当時はまだ一部しかホテルをしていなかったように思える。さらに電車でウダイプールのタージ・レイクパレスホテルに行った。ここは湖に浮かぶホテルで、007のロケに使われたり、エリザベス女王が訪れたホテルとして有名である。ホテルまでは船でいく。ここは旅行のハイライトとしてかなり広いスイーツの部屋に泊まった。便所は全部大理石でできた6畳ほどの広さの部屋にポツンと便器が置かれていた。やたらに広い部屋で、ブランコもあって、そこでゆらゆら揺れながら湖面を見ることができる。どの部屋に泊まったかは忘れたが、調べるとブランコのある部屋はグランドロイヤルスイーツのようだ。今は一泊50万円くらいするようだが、1975年の頃は三人、百ドル(3万円)くらいで、その安さにびっくりした記憶がある。

 

その後、飛行機だったと思うが南部のエローラ石窟を見た後、南部のバラナシに行き、そこでガンジス河の沐浴、火葬、寺院などを見学した。そこからネパールのカトマンズに飛び、数日滞在してから飛行機でルクラへ、そしてトレッキングでナムチャバザール、そして世界で最も高いところにあるホテル、エベレストビューホテルに泊まった。そこからは再び、デリーに戻り、当初はカシミール地方の避暑地、スリナガルーの船上ホテルに泊まる予定だったが、交通手段がなく、フランスの建築家、コルビジェの建物で有名なチャンディガールにいき、またデリーに戻って、日本に帰国した。ほぼ30日の旅行であったが、内容の濃い旅であった。最初の海外旅行にしてはハードなものであった。当時、デリーで最高のホテル、アショカホテルで2日連続、フランス料理を食べたが、一人三千円くらいで、それ以降、日本のどんな高級レストランもそれほどビビることもなくなった。次の年には外国人に解禁されたばかりの中国(香港、広州、昆明、北京)に旅行したが、若い頃の旅行は、良い経験として今でもはっきり覚えている。






 
インド土産のパシュミナ



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