2007年7月12日木曜日
若党町
今回は弘前城の北側にある若党町を紹介します。写真のようにサワラの生垣と黒塗りの板壁で囲まれた家並みが続き、まるで江戸時代にタイムスリップしたような街並です。サワラの生垣は外からは中は見えず、中からは外が見えることから敵からの防御用となり、またその実は非常食になるようです。若党町、馬喰町、小人町は総称して仲町と呼ばれ、現在は「仲町伝統的建造物群保存地区」となり、国の伝統的建造物保存地区にもなっています。
比較的、早い時期に町割りされたところで、中級、下級武士が住んでいたところのようです。北の押さえとして亀甲門があり、その門を出たところが亀甲町で、その裏が若党町となります。弘前城を中心(正確には本丸)として、北東の鬼門には八幡神社が、南西の裏鬼門には長勝寺が、全く等距離におかれ、北、南、西には下級、中級武士が、東には上級武士の居宅があったようです。さらに言うと、弘前城自体が岩木山の南東にあり、いい位置にあると思います。昔の町割りは、かなり厳密に方位の考えで造られたようです。
この仲町には旧伊東家、旧岩田家、旧梅田家などの武家屋敷が復元修理され。観光客に開放されています。なかなかいい家ですが、台所の暗さにはびっくりします。昔の主婦は大変だったと思います。伊東家に以前行った時には作家の今東光、日出海兄弟が住んでいた部屋という表示がありましたが、いまはなくなっています。今兄弟の母清美の実家は、医師で有名な伊東家の出身で、元長町にあったこの家にも今兄弟はよく遊びに行ったのでしょう。ちなみにこの伊東家の隣の元大工町には佐藤愛子、佐藤ハチロウの父である佐藤紅緑が住んでいて、今兄弟もこの佐藤紅緑のいろんな話を母親の実家では聞かされたようです。後の作家活動を始めたきっかけになったかもしれません。
この界隈は立派な家が多く、散歩にいく度にいったいどういう人が住むのか想像してしまいます。映画「青い山脈」に出てくるような、田舎にいながらも標準語をしゃべるような女学生が、いまは年配になっているかもしれませんが、いるようなムードがあります。夕暮れ時、あるいは真冬の雪の積もった時なんか、本当に静かで美しいところです。できれば電柱はムードを壊すので、是非とも地中化してもらいたい。昭和50年ころの新聞記事で「風格のある町」として東の横綱に挙げられたことがきっかけでこの町の保存運動が起こったようですが、ぎりぎりだったと思います。壊すのは簡単ですが、残すのは本当に難しいと思います。
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