2010年10月21日木曜日
山田兄弟31
本年の6月に東奥日報の明鏡欄に投稿し、不採用になった原稿である。
「今年7月から上海万博が開催される。本県からも青森県ウィークと称して、青森県の観光、物産、文化などを広く世界に向けて発信する催しが行われる。美しい自然、豊かな物産、アピールするものが多い青森県だが、それ以外にも日中交流の大きな遺産がある。
孫文の自叙伝の中に、「中国革命に尽くして終生怠らざりし者に、山田兄弟・宮崎兄弟・菊池・萱野がある」と記されている。山田兄弟とは、良政、純三郎の兄弟をさし、良政は孫文最初の革命、明治33年恵州起義にて外国人として初めて犠牲となり、弟純三郎は兄の遺志を継承し、孫文の秘書として最後まで革命に生涯をかけた。また菊池とは、菊池九郎の長男、衆議院議員の菊池良一のことで、孫文と日本政府との仲介を行った。いずれも弘前の出身である。さらには五所川原出身の櫛引武四郎は、恵州起義をからくも生き残るが、大正2年の第二革命で南京にて戦死した。これ以外にも黒石の宇野海作ら、多くの本県出身の先人たちが、中国革命に参加し、近代中国の建設に貢献した。
中国と青森県との友好関係を語る上で、これら先人の事跡は大きな遺産である。上海万博でも中国の方々におおいにアピールしてもらいたい事柄である。」
上海万博では、すでに孫文の金銭的援助を行った梅屋庄吉さんのお孫さんの小坂文乃さんが熱心に活動され、日本館に付随する施設で、「孫文と梅屋展」を開催し、大成功をおさめた。その後、この展示会は北京、武漢でも行われ、日中合作映画まで話が進んでいるのは前回のブログで述べた。さらに今年7月には、高校の先輩でもある防衛大学校校長、五百旗頭真を代表とする辛亥革命百周年記念行事日本実行委員会が設立され、福田元首相や西原春夫元早稲田大学総長など蒼々たる顔ぶれが名を連ねている。そして長崎県が全面的にバックアップしながら北京、上海、武漢などでの展示会を、神戸、東京でのシンポジウムとフォーラムが予定されている(http://xinhai-sunwen2011.org/page3_01_03.html)。
また梅屋庄吉の故郷の長崎県ではこれを機に、長崎県知事自身が訪中し、次期最高指導者に内定した習近平副主席と会談した。地方代表者との会談は異例なことである。熊本県荒尾市は同じく孫文を援助した宮崎滔天の故郷であるが、市を挙げて大々的な辛亥革命100周年記念事業を計画しており、また熊本県はこれをチャンスと来年行われる日中首脳会議の場所として誘致活動を行っている。
このように梅屋の故郷、長崎県でも、宮崎滔天の故郷、熊本県でも、辛亥革命100周年を前に県、市をあげて記念事業を計画しているが、それでは山田良政、純三郎の故郷、青森県、弘前市では何か計画しているだろうか。全く、それこそそんなささやきすら聞こえない状態である。辛亥革命100周年、それがどう弘前、青森と関係があるのか、山田兄弟、そんなの知らないというのが現実である。本年は山田純三郎没後50年、良政没後110年の記念すべき年で、3年前から弘前市、あるいは博物館に記念展をしてもらおうと動いたが、すべて却下され、実際は東京の有志主催による法要を貞昌寺で行っただけだ。山田兄弟の資料のほとんどを所有している愛知大学の現学長が弘前市出身、弘前高校卒業であること、愛知大学の先生方も非常に協力的であることなど、好都合な点があった。さらに中台接近に伴う中国政府および台湾政府高官の訪弘や、日本のみならず中国、台湾のマスコミによる取上げも十分に可能で、つてもあったが、地元の賛同者はなく結局、何ら記念事業はできなかった。
上海万博でも我が三村知事も青森県ウィークに参加して青森県のリンゴや観光をアピールしたようだが、その折、誰か中国政府の要人を会ったのであろうか。長崎県知事が、言い方は悪いが梅屋をだしに、中国要人のトップと会談したのに比べると、山田兄弟の戦略的な価値も知らない青森県にはそんな外交的なしたたかさはない。同様なことは、台湾政府についても言え、台湾にリンゴを売るなら、トップの馬英九総統に直接会った方がよいし、山田兄弟を絡めればそういった段取りも不可能ではない。現に、先の身内だけの山田純三郎没後50年法要においても、わざわざ駐日大使に相当する台北駐日経済文化代表が墓前供養のためだけに東京から来られ、また中国領事も来る予定であった。こういったことは県、市職員も知らないであろう。中国、台湾政府にとっても山田兄弟への関心は今もって高い。
一方、山田純三郎没後50年記念展を企画した折、関係者から「戦前の中国において日本軍国主義の片棒を担った人物を弘前市で紹介することはできない」と言われた。全くの誤解であり、山田兄弟ほどこういった考えと無縁の人物はおらず、梅屋と同じように一生を孫文の革命に尽くした。
東奥日報に投稿したのがボツにされたのも、多少は腹が立つが、それ以上に長崎、熊本、東京などが上海万博あるいは辛亥革命100周年にむけて活発に活動しているに対して、山田兄弟を生んだ青森県では、その戦略的な価値を知らず、全く何の関心もないのが、もっと腹立たしいし、まどろっこしい。それでも山田兄弟のことを尋ねて遠いところから、弘前に来てくれるひともいてうれしい(http://uraji.paslog.jp/article/1620953.html)。
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