2010年10月24日日曜日

山田兄弟32



 佐藤慎一郎という人は、誠の教育者であり、死後かなりたつが、教えを受けた多くのひとから未だに慕われている。山田良政、純三郎兄弟はいとこ、佐藤先生の母の兄と弟にあたり、ひょんなきっかけから中国に渡り、中国で小学校の先生や満州国大同大学教授、建国大学研究員などをし、戦後は長らく拓殖大学で教鞭をとった。その長い中国生活を通じて学んだ中国学は実学に基づくもので、教えを受けるものに深い感銘を与えた。佐藤先生の座右の銘は孟子の「冨貴不能淫、貧賤不能移、威武不能屈、此之謂臺大丈夫(地位や金で誘惑されても、心を動かされることがない、貧しい状況に追い込まれても、守っている行いは変えない、権力や武力で責められても、志が揺らぐことはない、これこそが「大丈夫」というべき人である)」で、佐藤先生はこの孟子の言葉通りに生き抜いた。

 知人からこの佐藤慎一郎(東洋史)教授の中国(支那)学の足跡という論文をいただいた(拓殖大学百年史研究4号、平成11年)。佐藤先生の教え子、関係者による対談集である。佐藤先生のことは弟子のひとり寳田さんのまほろばの泉にくわしく書かれているが、この論文には佐藤先生のおもしろいエピソードが書かれているので一部紹介したい。論文は次のところからダウンロードできるので興味を持たれる方は是非読んでほしい
(http://ci.nii.ac.jp/naid/110000037354)。

 佐藤先生が中国にいた時、何を思ったのか中国の排日デモに参加した。一度目は昭和2年の秋に、同宿の中国人学生に誘われ、日当70銭が出るからと参加し、デモ終了後には皆で飲みに行っている。2回目は昭和10年12月9日の「129」事件で、北京の学生が「打倒日本帝国主義」、「華北防共自治反対」をスローガンに排日デモをおこした。佐藤先生は持ち前の実学主義から「本当に国を愛する中国学生と心の底から語り合いたい」との情熱から日本人でありながらこの排日運動に参加した。実際に参加してみると、北京大学も東北大学らの興奮した大勢の学生もいたが、排日の排の字も、侮日の侮の字も感じられなかったそうだ。こんな中でもうどん屋では民衆がうどんをすすり、警官に叩きのめされて血を流している学生をみても、見物している民衆は誰ひとり助けようともしない。これが中国なんだ、完全に失望したと述懐している。後年この運動は激しい愛国運動と記録されているが、先生に言わせれば「歴史として書かれたものは、中国の排日運動はもの凄かったとなっているけれど、その実態はその中に入ってみないと解らない」している。同様に歴史的に名高い愛国運動「五四運動」についても、このデモに参加した石橋丑雄氏の回想では「私が傍らにいた学生に何でこんな運動をするのかと問うたのに対しては、実は自分でも何故にこんなことをするのかよく判らないが、北京大学の教授間に今日の集会をするようにとの話が決定したとのことで出て来たまでだとの返答であった」、「五四事件直後の北京の学生の中にはほとんど連日かり出されて、一日若干の日当をもらう者もあった」と証言している。

 この情景は、そのまま昨今中国各地で行われている反日デモと似ている。参加している学生達が携帯電話で競って写真をとっている状況をみると、本気で反日デモをしているようには思えない。マスコミは、大げさな報道をするが、それほど気にするほどのものでもない。一度、人権問題に関するデモを鹿児島で見たことがある。わずか10名くらいの、近所の活動家で、変人呼ばわりされている人や、趣味でそういった集会するのが好きなひとが集まっていた。こんな集会は誰一人相手にもしないようなものだが、次の新聞をみると、画面一杯に10名の写真を載せ、すごい運動をしているような記事で、あきれると同時に、マスコミがこういうことをするから彼らがつけ上がると感じた。

 お別れ会での拓殖大学椋木瑳磨太前理事長の挨拶も載っている。「広州の黄花岡の七十二烈士のお墓がございます。文化大革命の最中、山田良政先生のお墓に参じようとしまして、お墓の前まで行きましたが、治安当局の阻止によってそれが適いませんので失礼いたしました」との話がある。七十二烈士墓は1911年4月に決起され、清政府の弾圧で亡くなった革命党員72名を祈念して祀ったものであるが、どうして山田良政の墓がここにあるのか、椋木先生の全くの思い違いか、それとも少なくとも文化大革命当時まではここに山田良政の墓があったのだろうか、南京の山田良政碑と同じような新たな疑問が生じる。すでに椋木先生も亡くなり確かめようもないが、今でも残っているのであれば、おもしろい。

 南京中山陵にある山田良政の碑については、未だ不明であるが、ここで広州の山田良政の墓というのが新たに登場した。本当にあるのだろうか。誰か知っている人がいれば、教えてほしい。

 またインターネットをみると、最近は中国でも山田兄弟に関する情報が多くなり、2007年に書かれた華東師範大学教授、易惠莉の論文「关于山田良政的研究」はよく引用されている(http://history.ecnu.edu.cn/sxzlk/000312.html)。彼女は東京大学にも留学経験のある中国現代思想研究家であり、日本の2書を参考にしながら、山田良政に関するかなり詳細な論文をインターネット上で発表している。中文で書かれた最も詳しい解説と思われる。保坂正康著「孫文の辛亥革命を助けた日本人」は、最近ちくま文庫から復刊されたが、できれば結束 博治著「醇なる日本人—孫文革命と山田良政・純三郎」(プレジデント社)もどこかで文庫として再販してもらうとうれしいし、上に挙げた研究者は十分に中国語訳が可能なので中国での出版も検討してほしい。日本政府、関連団体により中国語訳への積極的な支援あるいは協力をすることは、文化交流の一環としても必要なことと思われる。

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