2011年11月10日木曜日

山田兄弟41



今日は、期待作ジャッキー・チェン主演の「1911」が上映されているというので、青森まで行ってきた。弘前では公開していないので、新青森まで電車で行き、そこから歩いてコロナワールドという映画館に向かった。何年か前に一度、このモールに行ったことがあるが、新青森からだと歩いて15分、割合近い。

映画「1911」はジャッキーが演じる黄與と孫文による辛亥革命の成就までを扱った作品であったが、正直がっくりした。全くおもしろくない。山田兄弟を通じて辛亥革命に興味がある私でさえこうなのだから、一般客には退屈な作品であろう。平日の午後という時間帯とはいえ、観客数はわずか5名であった。辛亥革命100周年の記念として作られたモニュメント的な作品であり、あまりエンターテーメント的な作品作りが出来なかったことによるか。孫文が美化されすぎ、いたるところに孫文の演説が登場する。むしろ悪役の袁世凱の方がおもしろかった。黄與以外の人物は、そっくりさんを起用したのではないかと思うほど、顔が似ている。さすがに黄與はあのままでは映画的にはきつく、これはジャキーでよかった。

実際の辛亥革命は、軍隊内の革命派の兵士が、暴動が発覚し、どうせ処刑されるならとわずか40人の第八師団の工兵が上官を射殺したことがきっかけで、決起した。すぐに3000人の兵士が呼応し、政府軍の抵抗もわずかだったという。映画とはだいぶ違う。また、その後の政府軍の反撃も映画で登場するほどのものではなく、ほとんど抵抗はなかったようだ。革命が成功しても孫文はすぐには帰国せず、まずヨーロッパ諸国の同意を取り付けたうえ、帰国した。マルセイユを出航した孫文は香港に向かい、前もって連絡しておいた日本人同士の宮崎滔天や山田純三郎らと会った後、1911年12月25日に上海に到着した。多くの中国人革命同士とともに日本からの駆けつけた犬養毅、頭山満などの姿もあった。孫文が上海に到着した時点では、革命までの功績は孫文より黄與の方が大きいとし、大総督の地位は黄與の望ましいという声も多かったが、何とか説得し、孫文が臨時革命総統に選ばれた。孫文が総統になった時からは政府軍の攻撃がすさまじく、映画の内容に一致している。何しろ革命軍は武器も金もなく、袁世凱率いる新軍に攻撃に対抗できなかった。どうしても清朝打倒を優先させたい孫文が袁世凱に妥協したのは映画の通りである。

写真上は中国のHPから引っ張ってきたもので、不鮮明であるが、保坂正康著「仁あり義あり、心は天下にあり」に少し鮮明な写真が載っており、上海の黄公館での写真(1912.6.30)で、前列左から3人名に山田純三郎の姿が見える。純三郎がだっこしている子供は、黄與の二男である。映画に登場した黄與の妻は二人目の妻(子供は娘)で、この子は前妻の子供ということか。純三郎の後ろには黄與が、その隣には孫文が写っている。純三郎と黄與の交流関係がわかる写真である。次の写真も同様に中国のHPから引用したものだが、説明では1899年日本人革命同士との写真となっている。前列右から3番目は廖 仲愷のようだし、二列目右端は萱野長知、3人目は孫文、その隣は若き日の純三郎のような気がする。純三郎の後ろは宮崎滔天と思われる。純三郎が孫文に会ったのは1900年、廖 仲愷が孫文に会ったのが1903年だから、この写真も1903年以降の可能性もある。

*増田俊也著「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか」。701ページの久しぶりの大部の著作で、ようやく読み終えたが、おもしろかった。ある格闘家のやるせない人生と著者の強烈な思いが、読者を引きつける。

4 件のコメント:

えんぴつ さんのコメント...

今晩は。
今年の5月に主人の仕事に同行して北京に行きました。主人が仕事をしている間、友人と宋慶齢が晩年を過ごした屋敷を訪ねることが出来ました。見学者は私たち二人以外は誰もいなく、少し寂しい感じがしました。屋敷には小さな台所があり、そこで婦人は自らお料理をされたそうです。

えんぴつ

広瀬寿秀 さんのコメント...

宋慶齢は、女性として、人間として時代の荒波にも関わらず、自分を見失わず、しっかり生きた人物です。山田純三郎とは非常に仲がよく、死後も息子の山田忠へ送った手紙があります。また宋慶齢記念館には山田から孫文への手紙が飾っているようです。

匿名 さんのコメント...

過日は突然失礼しました。

孫文は大正13年に「日本は西洋の覇道の番犬となるのか、東洋の王道の干城となるのか」と神戸で演説しました。

日本の行く末をそう問うた孫文は、いまや中国ではもてはやされています。

しかし覇道の権化となった中国を、その言葉は鋭く貫いています。

広瀬寿秀 さんのコメント...

いつも思います。もし韓国、中国との関係が台湾との関係と同じであったならと。お互いの齟齬が関係悪化を招いたのかもしれません。