2013年3月4日月曜日

ファミリーヒストリー


「アンコール 浅野忠信~祖父はなぜ、アメリカに帰ったのか」 2012.10... 投稿者 Nrev2





 NHKの「ファミリーヒストリー」という番組が好きで、よく見る。テレビなどで活躍している人物の祖先のエピソードを綴った構成で、いわゆる歴史上で名高い人物はほとんど登場しない。それでも親、祖父くらいのことは多少知っているだろうと思うが、ほとんどのゲストは先祖のことはほとんど知らず、NHKで取材により初めて知ったということが多い。
 
 翻って自分の先祖のことはなると、お恥ずかしながら、ほとんど知らないし、ましてうちの娘世代となると皆目知らないことばかりであろう。

 私の父方の祖父、祖母は徳島県板野郡の農家であった。家にある家系図から、応仁の時代までは遡れるので、500年は続いている。といっても元は侍であったが、早い時期からずっと農家で、それも地主といった名家でなく、ただのしがない農民であった。当然、名字は名乗れなかったが、侍時代の廣瀬という名字は密かに受け続いたのであろう。祖父の代に一山当てようと、大阪にわたった。詳細は不明であるが、祖父は商才があり、祖母と苦労しながら、そこそこの金を得たようである。祖父は40歳代の若さで亡くなったが、その時の葬儀の写真が残っている。かなり金のかかった葬儀で、僧侶が3名、大勢の参列者がいる。親父は長男で、二人の姉と弟、祖母が写っている。父、母ともあまり当時のことは語らなかったが、どうやら大阪、飛田新地で遊郭をしていたようだ。葬式の写真にも隠れるように勤めていた日本髷の女のひとが写っている。よほどもうけたのであろう。親父が子供の頃、正月は大きな座敷の上座に座り、従業員の年賀の祝辞を受けていたようで、故郷の徳島には豪邸を建て、子供用の甲冑を買い、端午の節句に着ていたようだ。

 祖父の死後は、祖母ひとりで遊郭を切り盛りしていたようで、大阪市内にも何カ所の土地も持っていたが、親父が東京歯科医専(現東京歯科大)を出て、学徒出陣し、叔父も拓殖大学を卒業し、NHKインドネシア向け放送に勤務し、二人の姉も嫁いだのか、戦後早い時期に遊郭をやめた。当時、子供を大学に行かせるのはよほど金がかかったが、余力があったのであろう。この時期、買った掛け軸、置物が家にあるが、今見るとほとんど偽物で、学のない祖母は悪徳骨董屋に言われるままに買ったのであろう。その後、叔母の旦那が電気風呂という新事業をしたが、それが見事の失敗し、遊郭でもうけた金、土地をすべて失い、晩年は尼崎の父の家で過ごした。私はとりわけ可愛がったようで、死ぬまで「この子は頭がいい」とおぶっていたようだ。私自身全く記憶はない。当時、家に入ってきたテレビが好きで、毎晩深夜まで見ていた。そのため、朝起きるのがいつも遅く、ある朝、おばあちゃんいつまで寝てるんですが、母が言っても起きないので、よく見ると亡くなっていた。楽な死に方である。

 女ひとりでの遊郭経営は、色々な苦労もあったろうし、子の知らない事情もあったのであろうが、すべて子供にも伏せて亡くなったので、死んだ親父に聞いても多分しらないであろう。親とは子に聞かせたくない事情は話さないものだ。存外、子孫は何も知らないし、私のような他人の方がよく知っていることもある。

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