2013年7月24日水曜日

歯科医師研修医制度なんかやめてしまえ




 歯科医師研修医制度が始まったのは平成18年なので、かれこれ7年になる。私の診療所も弘前大学医学部附属病院歯科口腔外科の研修医機関として、当初から研修医を受け入れているが、そろそろ研修医制度そのものの是非を議論してほしいものである。

 日本の歯科国家試験の歴史を見ると、50年くらい前までは知識をみるペーパー試験とともに、技術をみる臨床試験を課せられていた。実際の患者を連れて来て、指定された治療を行い、試験官が採点する。こういった方法は世界的には今でも多く採用されている方法で、アメリカでは全国統一の国家試験はペーパー試験だが、開業する時に州のライセンスが必要で、その時はペーパー試験とともに実際の患者への治療を採点する。ヨーロッパ、インドネシア、タイなどの東南アジアもそうだし、確か、韓国、中国でも実技試験はあったように思える。医師と違い、歯科医師は知識だけでなく、技術が重要な職業であるため、日本を除く各国では、知識だけではなく、歯科医師としての技術を評価して、資格を与える。当たり前のことである。ただ指定された治療を行う患者を試験日に合わせて連れてくるのは難しく、私が大学にいた頃は、模型や人形を使った実技試験に行われていた。また大学でも6年生には患者が配当され、インレーが何ケース、クラウンは何ケース、全部床、部分床は何ケースと決められ、それをクリアするように症例をこなす。指導教官は厳しく、毎日深夜まで技工に明け暮れたし、国家試験前になると缶詰で実技試験の訓練を行った。卒業後は、医局や開業医のところで勤務し、技術的にはまだまだであるが、それなりに臨床はできた記憶がある。

 その後、実技試験が面倒なので廃止され、ペーパー試験のみとなってきた。それでも患者をみる学生実習は従来通りであったが、ここで無資格の歯科学生に患者を見させるのはおかしいという意見が出て来た。患者自身も学生に見てほしくないということか。それにより、5、6年生の実習は見学主体となり、最近では6年生の授業は、国家試験対策に多くの時間を割かれるようになった。大学卒業の段階では、ほとんど臨床ができない状態である。そこで研修医療機関で、臨床技術を学んでほしいということとなった。

 それでは、かっての6年生と今の研修医研修のどちらが、臨床技術の向上に繋がったのか。これはいろんな意見があると思うが、私見を述べると、今の研修医では決められたケースのクリアなど十分な基礎的技術の修得にいたっていない。ひどいとこころでは、研修医になっても見学のみというところもある。昔の6年に比べて、6年プラス研修医1年の7年の方が、臨床技術の修得という点では劣っているというのが実感である。

 先に海外の歯科医師教育を述べたが、どこの国も、大学を卒業した時点で、知識的にも技術的にも一人前の歯科医を育てることを目標にしている。もともと歯科大学は歯科専門学校から発達したものであるので、当たり前のことである。それが、知識だけの修得、もっと言えば、国家試験の合格を目指したものとなっている。実におかしな状況である。世界的にもこれほど異常な教育機関はない。歯科大学が歯科医養成の義務を放棄しているのである。

 歯科医師研修医制度は、これを受けないと、開業できないことになっていて、すべての国家試験合格者はマッチングをしてどこかの研修医となる。ところがその評価はどうなっているかと言えば、最後に研修施設の責任者が集まり、おざなりに各研修医の合否を判定する。一度、担当官に落ちる人はいるのかと聞くと、精神的な問題があるごく一部の研修医を除いて基本的には落ちる人はいないという。

 歯科医師の臨床能力の低下を危惧する意見は歯科医師会でも大学でもほとんどないし、問題にもなっていない。研修医制度を廃止して以前のペーパー試験と実技試験のやり方に戻るか、研修医制度を継続するなら、終了時に第三者のよる臨床診断面接と実技試験を課す必要があろう。

このままでは、理容学校を卒業しても、知識だけあって散髪もできない理容師を作るようなもので、患者だけでなく、学生、研修医にとっても不幸なことである。もう一度、原点に返り、専門学校に戻るべきだと思われる。世界中の歯科大学の最終学年は、患者の治療の明け暮れ、臨床技術の修得にやっきになっている中、唯一、日本の歯科学生は国家試験テキストを見ている。

1 件のコメント:

kuma さんのコメント...

御意です。
学校が、国試重視ならそれはそれで、その後一人前になるまで面倒見ろよという話です。まあ、社会的歯科事情が諸外国に比べては大きく相違している現状では難しいのでしょうが。