2013年8月11日日曜日

明治8年弘前、荒町、駒越地区地籍図をデジタル化しました

 明治8年ころと思われる弘前、新町、駒越地区の地籍図のデジタル化が終了いたしました。作成に当たっては、協力いただいたヤマト印刷に感謝いたします。前回の「明治二年弘前絵図」のデジタル化では、大型の地図をどういう風にスキャンするか、随分悩まれ、最終的にはデジタルカメラで部分ごとに撮影し、それを合成する方法をとってもらいました。今回は、前回の経験がありましたので、スムーズに作成していただき、非常にきれいな画面となりました。

 デジタルすることで、コンピューター上で自由に拡大、回転、移動もできるため、こういった地図研究には欠かすことができません。「新編明治二年絵図」では、釜萢堰などの水路が道と交差している所はどうなっているか、不明で、おそらく木製の小さな橋のようなものでないかと書きました。デジタル化された明治8年の地籍図をみると、想像したような木製の橋であることがはっきりしました。道幅も記載されており、誓願寺の向かう大通りの幅は4間5尺、8mで結構広いことがわかりました。今の道とそうかわりません。江戸などでは、こういった道を横切る水路は暗渠と呼ばれる、木、石により水路を囲み、その上に土をかぶせる方法をとっていました。つまり道の下に水路が通る今のやり方です。ところが弘前藩では金がないのか、あるいは雪に問題があるのか、水路を横切るところでは、幅の狭い、おそらく2mくらいの木製の橋になっていたようです。水路といっても幅は1m以上あったでしょうから、雪が積もると、道の真ん中を通らないと、水路に落ちてしまうこともあったでしょう。道幅と同じようになったのは、随分後のことで、それまでは、木製の橋のため、何度も修復し、管理も大変だったでしょう。

 地図に関しては、国土地理院に問い合わせたところ、貴重な資料だが、いわゆる公図ではないとのことでした。正式な公図は、道路は赤色、水路は水色、田は黄色と定められていたようです。詳しくは国立公文書館に問い合わせしてくださいとのことでした。早速、国立公文書館にメールで質問したのですが、ただの質問コーナで質問者のアドレスを書く項目もなく、一方通行のものでした。回答は得られないでしょう。こういった問い合わせもあると思いますので、国立公文書館も問い合わせ先を表示願いたいと思います。

 先にお借りしたオリジナルの地図を弘前市立図書館に持参し、副館長と担当係の方にお見せし、いずれは所有者から寄贈すると思うが、一旦図書館に寄贈されると、デジタル化のために長期に貸し出しすることはできにくいし、費用もないとのことでした。そこで個人で先にデジタル化した訳です。

 本日、所有者にオリジナルの地図をお返しし、デジタルデーターの入ったDVDをお渡しし、その帰りに図書館に寄って、DVDを寄贈しようとしました。前回、オリジナルの絵図をお見せした担当者がいなかったせいもありますが、寄贈しようとしたところ、タイトルもないし、公開してもよいか判断できないので、受け取れないと言われました。担当者のいる時にもう一度来てほしいというのです。費用をかけてわざわざ図書館のために作ったDVDを拒否されるような言い方にはさすがに切れ、一瞬、寄贈をためらいました。その後、受付でのただならぬ気配を察しして、正職員の方が来られて、詳しい説明をして、寄贈してきました。前回の「明治二年弘前絵図」の寄贈の時もそうでしたが、前もって連絡しなかったこちらも悪いのですが、絵図を持って事務所にいくと、寄贈の用紙に記載するように言われ、それでご苦労様で、終了です。さすがに、「いやいやちょっと待ってくれ、折角寄贈に来たのだから館長か上の人に見せたい」と言うと、ようやく館長と副館長が来られて現物を見てもらいました。こういった応対能力のなさは、官庁ではよくあることですが、一般会社にもちょくちょくあります。昔、ある矯正歯科器材メーカーにあるクレームをしたところ、電話に出た若手の係のものが、非常にいいかげんな対応をするので、切れて(最近よく切れます)、おたくとは15年近い取引をし、年間で相当額の購入をしているが、今後一切関係を絶つと脅したところ、「ハイ、結構です」とのこと、すぐによく知っている社長に連絡し、いきさつを話し、平謝りされた経験があります。対応できなければ、上の者を呼ぶという基本的なことができないようです。




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