明治8年ころの絵図、デジタル化を終了し、その後、B0版にコピーして、2部を絵図所有者に、2部を弘前図書館に寄贈してきた。今後、どういう風に研究するか、検討している。エクセルを使い、すべての宅地の面積を算出し、町人町、士族町の平均宅地面積、違いを調べようと考えているが、ちょっと数が多く、まだ気力がわかない。
とりあえず、図書館に贈呈した時の、説明分を下記にあげる。
「弘前地租改正地引絵図」
(明治8年頃、新町、馬屋町、鷹匠町、西大工町、平岡町、駒越町、179.5cm×146.0cm、和紙、手書き)
江戸時代までの貢租は、米による物納制度であったが、明治新政府は土地価格に応じた地券をあらゆる土地に発行して、金納により税をとる「地租改正」を明治6年(1873)に公示した。青森県でも明治7年頃から地租改正事業が開始され、土地所有者、土地面積を確定し、併せて帳簿作成の基本となる「字」や「番地」をつけ、地引絵図を作成した。
本図は、弘前市西部、いわゆる下町の南半分の新町、馬屋町、鷹匠町、西大工町、平岡町、駒越町地区の地租改正地引絵図(壬申地券地引絵図)である。すべての宅地の所有者名、土地の幅、奥行きが記載されている。おそらく青森でも番地が入った最初の地図であろう。
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