2015年7月5日日曜日

江戸時代の美人







 江戸時代の美人というと、浮世絵の美人画が思いうかび、面長で、細い目、おちょぼ口といったイメージがある。今の美人感とはずいぶん違い、あんなひよろっとした長い顔は、今の人からは美人に見えない。

 最近、明治の美人の写真がインターネット上で見ることができる。当時の芸子や美人コンクールにでた女性の写真で、明治の人々から当たり前だが、美人と思われていた女性である。それを見ると、今の美人と違い、身長は低く、バストも貧弱だが、意外に顔の好みは我々と変わらない。明治10-30年頃というと、今から120年前、明治30年から120年前といえば、1777年、つまり安永ころとなる。浮世絵で言えば、中期から後期になり、美人画の最盛期となる。明治を境に、人々の美意識がそんなに急に変わるとは考えにくく、むしろ浮世絵の美人画は、ややデフォルメしたものではなかろう。

 ヨーロッパにおいても、ルネサンスの美人は今でも美人であるように、おそらく江戸時代の美人は今の人々から見ても、やはり美人で、その基準はそんなに変わらないのではないかと思われる。江戸時代の版画は平面での表現となっており、人物を具象的に描ききれなかったのに対して、西洋画では陰影により平面のキャンパス上にかなり具象的な像、本物そっくりに表現できたことによろう。日本での写実表現は明治以降となる。

 日本は、単一民族で、外国人との混血化はほとんどなく、また日本全体での均質化は、これだけ人の移動が多くても意外に少なく、同じ地域の人と結婚する割合は高い。昭和20年前後の調査では、80%近くの人は近隣の人と結婚している。それ故、日本という狭い国土でも顔の地域差がある。確かに化粧法はかなり異なり、江戸時代は結婚すれば、お歯黒や引眉(眉の毛を抜く)は、むしろ女性を醜くさせ、浮気防止を目的にしたもので、明治以降、すぐに廃止された。

 明治期の美人の写真を集めてみたが、現在人に比べて背は低いものの、顔立ちはそれほど違和感はない。女性らしい、弱々しい感じの華奢な体型で、一重まぶたに色白な美人、現代のような二重で、華々しいゴージャスな顔は、確かに美人ではあったが、江戸時代では数が少なく、美人の典型ではなかったのだろう。沖縄出身のタレントが多いが、南方系の顔に接することは、江戸ではきわめて稀で、美人=平均顔という方程式からすれば、異彩なものであったのだろう。


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