戦後70年、テレビでも毎年のように、この時期になると終戦記念番組が放送されます。内容的に優れた作品もありますが、戦争体験者がほとんどいなくなった現在では、かなり着色された番組も散見されます。例えば将校が兵士を意味なくなぐるシーンがありますが、実際に海軍でも陸軍でも、こういったことはありますが、基本的には下士官が兵卒をなぐることがあっても、将校が下士官を、まして佐官、将軍が士官をなぐることはほとんどなかったと思います。
私自身、先の大戦を振り返り、一番反省すべき点は、マスコミの煽動、景気のいい話をして戦争を賞賛した点でしょう。その路線は、日清戦争から始まり、逆の形で現在も続いています。日露戦争では、国力が劣るロシアと戦争するためには、それこそ国として死にものぐるいで戦う必要があり、そうした風潮をプッシュする形で、日本のマスコミ、中心は新聞が煽動しましたし、それで売り上げを伸ばしました。若干の反戦運動もあったものの、勝った、勝ったという方が勇ましく、そうした声が大勢を占めました。白人の強国に勝ったことが、どれだけうれしかったのか、その後、世界の五大国と有頂天になったのが日露戦争以降のことです。マスコミでも世界に冠たる日の出る国、アジアに君臨する一等国として持ち上げます。さらに遅れたアジア諸国のレベルを上げたいというおせっかい、あるいは優越感から次第に大東亜圏の発想となっていきます。
大正のころまでは、アジア諸国、ことに中国、朝鮮について、それほど優越感はなかったのですが、新聞の報道により次第に中国、朝鮮はけしかん、懲らしめるといった雰囲気が助長されていきます。昭和になると「チャンコロ、チャンコロ」と子どもまで、中国人をバカにするようになります。ことに軍人は、中国軍に対しては強い優越感があったため、絶対に負けることはないと、常に強い態度で臨んでおり、新聞もこれを援護しました。邦人が一人でも中国人に殺されると、軍隊を出して中国人を懲らしめよというのが昭和初期の一般的な論調であり、国民のほとんどが同調しました。逆に政府、軍が、こうした好戦的な論調を抑えようと苦労する有様です。さらに一部の学者、新聞が、天皇の意思に反して、天皇の神格化をすすめ、いつのまにか日本陸軍は皇軍と呼ばれるようになりました。支那事変以降のことです。
南京事件、従軍慰安婦、強制労働、マニラ虐殺事件など、今日でも議論になっている日本の戦争責任の大半は、これ以降のことです。こうした事件の有無、解釈については、種々ありますが、間違いなくあったことは、アジア諸国、住民に対する蔑視です。自分たちより劣った存在とし、軍事力を背景に尊大な態度をとったことは疑いありません。もちろんアメリカ人、白人の有色人への差別はこんなものではありませんが、マスコミ、社会的風潮が抑止力として働いていました。
『戦争と新聞 メディアはなぜ戦争を煽るのか』(鈴木健二著、ちくま文庫、2015)は好著で、戦争に向かう過程でのマスコミ、新聞と政府、国民の関係を詳しく説明しています。著者は新聞記者のため、新聞は政府の検閲制度によりしかたなく政府の手下となって動いたとしていますが、個々の記事を読むと必ずしもこうした検閲だけで責任が逃れるわけではなく、大正期の検閲が緩むと政府批判を繰り返し、政権を解散させたと喜び、戦争で検閲が厳しくなると軍部に迎合して、軍の代弁者となりました。そして戦後のマスコミは、驚くほどの変わり身で転向します。終戦翌日には、戦争批判の論説を出し、昨日まで戦争を礼讃した同じ記者が、批判します。
戦後も文化大革命を礼讃した朝日新聞などを見ると、事実は新聞報道の逆ではないかと思えるほどです。最近ではネットでの新聞批判も多く、そうした意味では、ようやく国民が自分で考えれられる環境になったのかもしれません。
2 件のコメント:
初めまして。戦争責任に関する記事を検索しているうちに辿り着きました。
本文の論旨には全く同意させていただきます。
ただ最後の「最近ではネットでの新聞批判も多く、そうした意味では、ようやく国民が自分で考えれられる環境になったのかもしれません。」は少し違和感を覚えました。
ネット上の新聞批判記事、特に戦争責任関連のものは、朝日(や毎日)の偏向のみを言い募って、最後は「朝日は今も中韓に媚びている」と結論しています。これでは結局、戦前の「アジア蔑視」と同じ方向を向いた結論になってしまっています。
あるいは逆に、そうしたマスコミの戦争協力問題を巧みに日本人の閉鎖性が問題であるかのように言い募って、「そもそも日本の伝統的価値感が間違っている」という行き過ぎた結論にすりかえている記事もあります。
言うなれば前者は右、後者は左に偏り過ぎた結論だと思いませんか。大手マスコミが情報を操作しているのであれば、そうした情報操作はネット上の記事にも及んでいる気がします。大手マスコミとネットのどちらが信用できるかという二元論ではなく、どちらも歪んだ情報を伝え得ると警戒を払うべきではないでしょうか。
仰る通りで、ネット上の情報、こうしたブログも、それこそ全く無責任に書いているため、よほど警戒して読む必要があります。戦前も、とくに新聞では、政府、軍部による情報操作ということがありましたが、戦後はテレビ、さらに現在ではインターネットを使ったより巧妙な情報操作があり、自分で情報を考え、判断するのはむしろ難しくなったかもしれません。
大量の情報を処理して判断する能力を得るには非常に難しく、人間は何千年経っても基本的には進歩していないという観点からみれば、歴史を勉強することが重要なのかもしれません。
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