2015年10月17日土曜日

スバル360の復刻を




 私は免許を取ったのが、30歳になってからで、赴任地の宮崎医科大学が清武という辺鄙にところにあったため、仕方なく、自動車教習所に通った。宮崎医科大学は、宮崎市内から車で30分くらい離れおり、大学前にある官舎から清武の小さなスーパまで行くのに歩いて20分、宮崎市のダイエーに行くには1時間の一本しかないバスに乗らなくてはいけない。さすがにここでは車がないと生活できないと感じ、免許を取り、兄貴が乗っていたトヨタ、カムリをもらうことになった。車を大阪港まで持ってきてもらい、宮崎の日向港で受け取ることになった。電車で日向港に行き、ここで車輛を受取り、清武の官舎まで運ぶ。確か150kmくらいの距離であったが、生まれて初めての運転で一般道を3時間くらいかけて運転した。その後はこの車に乗って、宮崎のあちこちを回ったし、鹿児島では5年ほど、この車を主として買い物に利用した。

 青森に行くことになり、最初は車を持っていこうと思ったが、すでに10年以上の中古車で、故障をおこすことがあったため、2、3万円くらいで売った。青森では最初、家内の実家に住み、車の車庫がないため、職場までは電車か自転車で行っていたが、そのうち開業し、自宅も歩いて7分くらいのところなので、そのまま車も持たずに今日に至っている。弘前に来て20年全く、車に乗っていないので、もう運転は無理だろう。とくに冬の運転はできないだろう。

 昨日、弘前大学医学部病院に向かっていると、途中の道で往年の名車、スバル360を見かけた。黄色の車体で、屋根にはルーフキャリアがついている。懐かしいので、誰が乗っているかとみると私よりやや年配のドライバーで、空冷二気筒の軽快な音を響かして、去っていった。

 このスバル360は、スバルが最初に自動車メーカーとして認知された車で、いわゆるマイカーと呼ばれて、初めての自家用車として購入した家も多かったと思う。ただ馬力が弱く、坂道ではよく止まっていたが、安くて、小さい車体ながら何とか四人が乗れたため、人気があった。発売は1958年であるので、私が2歳の時だが、生産が終了したのが1970年で、今では考えられないくらいのロングランであった。

 最近では、フィアット500やワーゲンビートルなどの復刻版の車が出て、人気があり、ホンダもN360のイメージを継承した新型車を出している。できれば復刻車を出してほしいのだが、実が一度、スバルはエルデンという360の復刻車を出そうとしてことがあった。ただコスト的な問題があり、実際には販売されることはなかった幻の車である。

 スバル360のもつ美しく、かわいいフォルムは、若者にもきっと受けると思うので、輸出が好調なスバルさん、できましたらもう一度、復刻に挑戦してほしいものです。その際は私も買って、乗ってみたいと思います。冬以外のシーズンだけですが。

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