昔から疑問に思っていたことは、歯科大学、歯学部の基礎講座が必要かということである。私が卒業した東北大学歯学部でいうと、基礎講座として口腔生化学、歯科薬理、口腔微生物、口腔生理、口腔器官構造(解剖)、歯科生体材料、歯科法医情報(法医学)、口腔病理などがある。名称がわかりにくいが、在籍当時の名称では、生化、薬理、微生物、生理、解剖、歯科理工、病理となる。これらに歯科をつけたものが歯学部の基礎講座である。
これがおかしな点は、例えば、歯科の代わりに“眼科”、“整形外科”をつけると、眼科解剖学、眼科生化学、眼科生理学、整形外科病理学、整形外科生体材料学となるが、どうだろう。普通の感覚からすれば、そこまで細分化する必要はないだろうと思う.歯科が広義の医科の一分野とすれば、歯科大学のこれら基礎講座はまことにおかしな存在と写るだろう。
もともと歯科大学は私立の東京歯科大学に始まり、専門学校であった。東京高等歯科歯科医専、現在の東京医科歯科大学を作るに当たり、アメリカの歯科大学を手本に臨床、基礎講座を医科大学に準じたフル講座を目指した。それが今の歯科大学の原型となった。そのため、医科大学にあった生化、生理、解剖などの基礎講座に“歯科”をつけて、医学部と同じような組織とした。学生教育にも歯科だけでなく、医学の基礎知識が必要だったことよる。
ただ現状で、これら歯科大学の基礎講座での研究はどういった分野かというと、大部分は全く歯科とは関係ない研究であり、逆に言うとそうした研究でないと科学研究費がでない。歯科というのは、学問上で言えば、ほぼ研究はしつくされており、これまでノーベル賞をとったことはないし、今後も歯科の分野でノーベル賞はでない。歯学部から仮にノーベル賞がでるとすると、歯科とは全く関係のない研究対象であろう。
確かの歯科の分野でも基礎研究は重要であり、臨床の向上を目指すためには、その基礎的な研究は必要である。ただ、医学部とは別に歯科大学単独の基礎講座が必要かということである。医科系研究群に医科、歯科の基礎講座をすべてまとめ、学生の教育、研究をすればよく、医科と歯科をわざわざ分けて、別々に基礎講座を作ることは全く無駄であろう。さらに言えば、歯学部自体も定員が50名であり、こうした少ない学生数に比べてあまりに教官が多い。むしろ定員数からすれば、医学部歯学科で十分である。看護学科が医学部に入ったように歯学部も学科に降格しても全く問題ない。
さらに歯学部のような小さい所帯で、学部という名称を維持するのは困難となってきており、大学院大学が提唱された30年前から、おかしな方向になってきている。鹿児島大学でも教官の業績を、インパクトファクターで図るようになり、他学部との比較において、あまりに業績が少ないため、臨床講座でも英文雑誌、インパクトファクターの高い雑誌への投稿が勧められ、ますます歯科とは関係のない研究が中心となってきた。さらにある一定数以上の大学院生数が求められるため、入局するには大学院生以外、受け付けなくなった。学生にすれば、臨床を学びたいのに、入局するためには、大学院に入らなくてはいけず、そこでは歯科とは直接関係ない基礎研究が主体となる。悲劇である。4年間の無駄な期間を必要とするばかりか、せっかく研究の基礎を身につけた大学院生はその後、そうした研究はしない。これも無駄である。
国立大学の歯学部で言えば、この際、医学部歯学科あるいは医学群歯学類に降格し、例えば、矯正歯科臨床を学びたければ、専門教育の矯正歯科コースに進むような組織変革が必要なのではないだろうか。さらに言うと、私立単科歯科大学も、これは100年前のアメリカの大学システムで、古い。定員100名、6年生までいれて1000名に満たない単科大学は経営的にも無駄なところが多く、アメリカでも早々に総合大学に組み込まれていった。現在、アメリカの歯学教育をする学校は30ほどあるが、確か、歯科単科大学はなかったと思われる。日本でも一時、総合大学を目指した時期もあったが、未だに単科歯科大学は、日本歯科大学、東京歯科大学、神奈川歯科大学、松本歯科大学、大阪歯科大学、福岡歯科大学、公立では九州歯科大学がある。世界的にみても歯科単科大学の存在は、ほとんど日本以外では聞いたことがなく、ましてや公立の単科歯科大学というのは奇妙なものである。口では大学のグローバル化と叫ぶが、単科歯科大学自体は世界的にみて、相当ズレた存在である。
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