津軽人でもないのに郷土史に関わってきたが、これだけは絶対に地元民でなければ理解できないのが、方言である。ことに津軽弁は沖縄弁(方言、語)と並んで、最も独特な言葉であり、未だにテレビで地元民の会話が放送されるときには字幕が入る。それでも方言自体は英語と同じく、単語を学べば何とか意味は理解できるが、発音はまねできない。大阪弁や鹿児島弁など他の方言は、母音としての日本語のアイウエオは残っているが、津軽弁は現在では使われない母音が使われる。Hの発音が、HとSHの中間の発音となったり、PHの発音になったりする。例えば弘前は、通常はHirosakiと発音されるが、年配の方はShirosakiと発音し、さらに古い世代はPhirosakiと発音する。実際の発音は、Shiではなく、独特な発音をするため、よそ者にはまねできない。
これについて、直木賞作家の今官一は「津軽ぶし」(津軽書房、1969)で
「弘前と書いて「ひろさき」と訓むことになっているだが、その通りに発音できる人間は、生粋の「弘前ツ子」のなかには一人もいなかった。ぼくらの世代では、ほぼ「シロサキ」が普通だったし、じいさま・ばあさまの頃は、「フィロサキ」で用が足りていた。その「シ」も、Shi音よりは、SuitsのSui音に近く「フィ」もfiではなくてPhiであった。略 他県の人たちには、ちょっと真似の出来ない「ほうはい節」という、古い伝承の民謡があって、いまは文句なしに漢字で、「奉拝節」と統合しているが、ぼくたちの少年の頃は、「ほう・ふぇ節」であった。これをフォネティック記に書き改めればーKho・Phaeである。同じ「は行」の「ホ」と「フ」が、二つの言語型式を、それぞれ固持しながら、同居しているのである」と記している。
「ほうはい節」は、同書では先祖伝承の民謡で、津軽為信公が藩内を巡察のみぎり、津軽坂という地方の農民が、歓迎のためにと捧げたのが起源としているが、青森県音楽鑑賞保存協会の解説では、この曲はもともと岩木山で歌われていた呪歌の「ホーハイ」の部分が、後に民謡化していったとしており、日本の古代呪術の「火開(ほうはい)、火開」、あるいは「火拝、火拝」と言って女性器をあらわにして、その女性器を火に見せる呪いとの関連を示している。これはこじつけぽいが、それでも津軽地方では熊に山の中で出くわした時には、女性の場合は前を捲くって寝て、女性器を熊に見せると、熊がその匂いをかいで逃げるという言い伝えがあり、恐ろしいものに対して「ほうはい」をするような迷信がある。
ホーハイ節は、民謡の中でも、裏声になる、その歌い方は独特であり、日本のヨーデルとも言われている。歌詞は時代とともに変わっても、「ホーハイ」という言葉と歌い方は、オリジナルの型式を残しており、即興で歌われた求愛、歌垣に近い雰囲気がある。歌詞は色々あるが、その一つに
婆の腰ゃホーハイ ホーハイ ホーハイ曲ホがたナーイ 曲がた腰ゃ 治らぬ
愛宕山遠けりゃ 吉田町ゃ長げよ
お玉良い娘何処通った お玉良い娘此処だ
ホーハイの合いの手以外の歌詞は、ほとんどアドリブで多分かなり卑猥な文句であったのだろう。古い弘前ネプタの囃子詞に“エッペ出せ出せ(イッペラッセ) ガガシコガシ”というもので、前半は言葉通りの卑猥なもので、こうしたかけ声はつい最近まであったそうだ。後半のガガシコは金属製のコップのようなものでこれを鳴らして踊った。案外、昔の庶民の楽曲は相当卑猥のものだったのだろう。
津軽民謡の第一人者の成田雲竹さんの”ホーハイ節”は、Kho-Phaiになっている。津軽でお正月のよく演奏される”俵積唄”です。南部の唄ですが、めでたく人気があります。
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