美人の多い都道府県を挙げてもらうアンケート調査によれば、一位は秋田、二位は東京と続き、青森県は沖縄に続く13位となります。これはあくまでイメージですので、実際にそうかはわかりませんが、まあまあの成績と言えると思います。随分前のことですが、週刊朝日の記事で「日本海美人一県おき説」を考証しようと、作家の酒井順子さんが、県庁所在地の繁華街で、美人と認める女性100名を調べました。結果は、青森県では12.5%が美人、秋田県が20.5%、山形県が7%、新潟県が12.5%、富山県が9%、石川県が12.5%、福井県が6.5%と、青森を除くと美人一県おき説はほぼ正しいとしています。ちなみに東京は4%かなり少ないようです。この結果では、青森は新潟なみに美人が多いと言えます。
作家の今東光によれば、「津軽女は円顔が多く、黒目勝ちの大きな眼が印象的で、色は抜けるように白い」と絶賛しています。それでもシャイな性格の県民性のためか、津軽出身の女優さんは少ないようです。古くは、大正時代に活躍した澤村春子(1901-1989)という人がいます。北海道、礼文島生まれということになっていますが、両親とも黒石の出身で、小学校二年生まで黒石の小学校に通っていましたが、両親の仕事のため、礼文島に転居します。成人になり、松竹キネマ俳優学校に学び、「路上の霊魂」という同郷の小山内薫の作品で初出演します。その後は大きな役もなく、青森県の駄菓子屋の女房になって1989年に亡くなります。次に紹介するのは昭和20年代に活躍した相馬千恵子(1922-)です。宮本武蔵の映画でお通の役をしていたことから、“お通さん”と呼ばれていたそうです。この人も大柄な女優さんですが、着物姿はしっとりして美しく思います。1922年生まれですが、まだ存命のようです。その次となると、歌手の方が有名な奈良光枝(1923-1977)がいます。生まれは私の今、住んでいるところの近く、萱町の出身です。「青い山脈」、「赤い靴のタンゴ」などのヒット曲がありますが、大映映画「或る夜の接吻」ではキスシーンが話題になりました。身長は165cmで、戦前の女優さんでは最も身長が大きかったようです。現代風の美人です。他には忘れて行けないのが、長内美那子(1939-)です。お父さんは歯科医ですが、役者バカと呼ばれて、仕事より劇団活動に熱心でした。美那子さんが今でも美人ですが、若い時はそれはきれいな人でした。女性の少ない頃の弘前高校の卒業生で、在学中は目立ったことでしょう。他には、北海道開拓で活躍したお雇い外国人、エドウィン・ダンの夫人、松田ツルもきれいな人で、この人を愛するあまりダンは生涯日本にいることになります。あるいは太宰治の姉、津島タネも、残っている写真をみると美人です。最近の人では、東京の新橋で芸者さんをしている寿寿女(すずめ)さんもきれいな人で、大相撲観戦の際にテレビに写り話題になりました。またモデルさんでは、聖愛高校を卒業した西村みえこさんや、中央高校を卒業し、映画にも出ている飯村未侑さんや、附属中学校を卒業した駒井蓮さんもいます。
津軽の女性は全国的にみて、身長が高く、肌が白く、二重まぶたの人も多いようです。また変わった点として瞳が青い、緑、グレーの人も見かけることがあります。さらに全国と比べると血液型はA型が少なく、B型、O型の多い、縄文系であり、血液型からは北秋田からの流入が示唆されます。728年から922年のおよそ百年間に、現在の中国東北部、シベリアにあった渤海国から大規模な使節が能代などの北秋田に何度も来ます。1000名以上の帰化希望者がいて、地元民との混血化が進んだのかもしれません。戦後、全国的には移動することも多くなりましたが、戦前まで婚姻圏は非常に狭く、ほぼ同じ地域の中で結婚し、県外に行くことはありません。最近でこそ、そうした意味では混血化は進んでいるが、それでもまだまだ地域性があるようです。津軽美人というのは、北秋田からの流入がもとになっており、基本的には秋田美人に属するのでしょう。青森県といっても八戸のような南部よりは津軽地域に、津軽の中でも青森市よりは弘前市に、さらに黒石、平川、板柳のような郡部の方がより美人が多いように個人的には感じています。
*内容は弘前ロータリーの卓話で話したものです。上の動画は津軽出身の若手女優の駒井蓮さんです。下の動画にはお岩さんの役で、弘前市出身の相馬千恵子さんがでています。
*内容は弘前ロータリーの卓話で話したものです。上の動画は津軽出身の若手女優の駒井蓮さんです。下の動画にはお岩さんの役で、弘前市出身の相馬千恵子さんがでています。
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