2019年5月3日金曜日

大阪人の自慢話好き



 先日から娘と婿さんが来ていたが、帰った後、妻が「婿さんに、自分たちの自慢話ばかりしていたようで恥ずかしい」と言っていた。それは私も少々気になっていたことだが、やれ先月はアメリカのシンシナティーからのお客さんを二日間、青森を案内したとか、プラタモリ弘前に協力したとか、英文で自著を翻訳しているとか、まあ自慢話ばかりである。妻も3ヶ月くらい前からピアノを習っていて、ショパンのノクターンを披露したりした。あなたの自慢グセがうつったと言われる。

 よく考えれば、尼崎生まれの私は、人と話をするときに、よく自慢話や逆に自虐ネタを話すことが本当に多い。例えば、このブログでも、ダナー社のブーツを買った、それもかなり安く買ったという買い物自慢も多いし、芸能人にあったという体験自慢も大阪人の会話では多い。流石にお金持ちや地位の高い人は、その地位自体をモロに自慢することはないが、それでも大手銀行の役員が近所の店舗にいってそのサービスをネタにするといった微妙な自慢もあるし、逆に私の場合は、よく話すのが、大阪万博に白いブリーフの上にチェックのトランクスタイプの下着を履いて、何度も行ったことを自慢する。これは自虐自慢と言えよう。

こうした見方をすれば、大阪人の会話の7割は買い物自慢、体験自慢、自虐自慢さらには年配の人では病気自慢が入る。大阪以外のところ、近辺の神戸や京都ではその比率は少ないし、東京では露骨な自慢は嫌われる。会話をしていて、大阪人に上記4つの自慢は話すなと言えば、かなり無口になるのではと思う。大阪では自慢しても、周囲もそれに乗る文化があり、お互いに自慢しあって、喜ぶような習慣があるため、とめどもなく自慢が続くことがある。海外旅行の話などもどこのホテルが良かった、料理が美味しかったというのも、すべて自慢話であり、またこの映画や本が面白かったとかいう話題も知識をひけらかせる知識自慢と言えるかもしれない。

 自分のことを面白くおかしく喋ると、いいことでも、悪いことでも自慢につながるため、自慢話をしないようにするのは、話の内容を自分以外に振る必要がある。一つは相手を褒めることであるが、これもおべっかに聞こえるため、津軽では他人の悪口が絶好の話題となる。自分のことは一切喋らずに他人の悪口、揚げ足をとる。あるいは悪口までとは言えないが、他人の噂話をすることも多い。あとは子供ネタについては、これは大阪人以外でも全国的に自慢話が多く、一番多いのは子供の学歴自慢である。他の自慢は圧倒的に大阪人が多いが、子供の学歴自慢はむしろ軽い自慢も含めると東京人の方が多いかもしれない。

 連休明けると、また英語のレッスンが始まり(自慢?)、必ず講師の“What’s new?”から始まるが、娘の中国での仕事と中国人の嫌韓の話をしようと思うが、これも子供自慢になり、結局”Nothing special”と答えそう。大阪人にとっては、自分のことを相手に知ってほしいという気持ちや、また話を盛り上げたいというサービス心が強いため、どうしても会話の中に”オーストラリアでバンジージャンプ“をしたと言った自慢話が多くなる。これらの自慢話を封印されると会話が本当に難しい。大阪人の自慢話には悪意はないと思って勘弁してほしいし、自慢が恥ずかしいと思うような人はブログなんぞ書かないように思える。何となればブログこそ知識自慢の典型である。弘前ブログこそ地元(郷土)自慢そのものである。

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