以前、録画していたアメリカ映画“めぐり逢い”を見た。不朽のラブロマンス映画で、これまでも何度か見たことがあるが、今回は英語の勉強として見た。というのは1950年代の映画は今と違ってアメリカ英語でもわかりやすいからで、例えば、“アメリカングラフティー”は1974年の映画であるが、舞台は1960年代初頭の高校であるので、スラングも少なくてわかりやすい。さらにこの“めぐり逢い”は主演女優がイギリス出身のデボラ・カーなので、日本人にはアメリカ英語よりわかりやすい。といっても実際はほとんど字幕で理解するが、それでもよく聞くと、20%くらいは理解できる。何度も見ればもっと理解度は進むのであろう。名作映画で、見るたびに泣かされる。
デボラ・カーについては、日本人ファンとの心温まる交流がブログにあるので、見て欲しい。
著者は、中学三年生の時にたまたまレンタルビデオで借りた“めぐり逢い”をみて、すっかりデボラ・カーのフアンになってしまった。なんとかファンレターを出そうとあちこち探すが、インターネットもない時代、なかなかわからず、ようやく昔の俳優協会の名簿を教えてくれる方がいて、その住所に手紙を出した。すると驚くことにデボラ・カー本人からお礼の手紙とサイン入りのポートレートがきたという。さらにそれから13年後、デボラ・カーの死を知った著者は、お悔やみの手紙を、これも住所がわからず、インターネットでイギリスのサフォークに住むことだけを知り、そこの郵便局長宛に手紙を出した。するとわざわざ自宅に転送してくれ、デボラー・カーの娘さんからお礼の手紙が来たという。
非常に感動深い話で、こうしたファンとの暖かい交流が、著者の人生にも何らかの影響を与えたようである。私も、小学四年生の頃だろうか、少年マガジンにページの横に、プロ野球選手の住所が平気で書いてあった。ダメ元でいいと、なけなしの小遣いで、オバQのハンカチを買い、返送用の封筒を入れて、大人気の長嶋茂雄選手に送った。すると2、3週間後に、サインの入ったハンカチが送り返され、それはびっくりした。もちろん次の日はみんなに見せびらかしたのは言うまでもない。その後、味をしめ、王貞治選手にも同じようにハンカチを送ったが、返事はなく、それ以来、私にとっては長嶋>王となった。
インターネットの時代になると、手紙を出すことは本当に少なくなったが、それでも手書きの手紙をもらうと嬉しくて、何度も読み直す。手書きの手紙には、書き手の性格まで想像してしまい、サインも含めて自筆というのは嬉しい。上記のデボラ・カーへのファンレターの件でも、おそらく皆から忘れられた時にファンレターをきたこと、日本から送くられてきたことなどが、病気でありながら嬉しくて、返事を出したのであろう。
今時は、個人情報保護法により、タレント、スポーツ選手、漫画家、小説家の住所はわからないようになっており、ファンレターを出す人も減ったであろうし、事務所に送っても、嫌がらせの内容もあるかもしれず、タレント本人に渡すかどうかわからない。ただ内容は事務所で確認するかもしれないが、基本的には本人に渡すと思うし、よほど忙しい人でなければ、ファンラターは目を通すだろう。昭和天皇のエピソードに、晩年、多くの日本国民が病気快癒を祈り記帳を行なった。おそらく数十万人になるだろう。天皇はそれを、体調が悪いにも関わらず、すべて目を通したという。そして侍従に“ここに書かれている漢那というには、欧米留学の時に乗ったお召し艦「香取」の子孫だろうか”と尋ねたという。知った人がいないかと目を通し、皇太子時代の欧州遊学の際に知り合った漢那憲和少将のことを思い出したのだろう。
私のところでも、弘前の歴史に関する問い合わせがよく来るし、中には大部の資料を送ってくださる方もいて、大変恐縮する。ところが私自身、面倒臭がり屋で、返事は出しても手書きで手紙を書くということはしない。お礼の意味からももう少し対応を考えなくてはいけない。
2 件のコメント:
広瀬先生様
6月には同窓会の件でお世話になり、有難うございました。
ねこ吉も、「めぐり逢い」何度か見ました。
録画もしたので、また見直すことも出来ます。
ねこ吉が、デボラ・カーを知ったのは、中学1年の夏休み、友人と尼崎OS劇場に「王様と私」と
「サウンド・オブ・ミュージック」の二本立てを見に行ったときでした。
2人とも昭和中学の制服を着て、生徒手帳を持って見に行ったんですよ。
ユル・ブリンナーを知ったのもこの時でした。
デボラ・カーの着ているドレスに感動。
以後、友人と梅田スカラ座にジュリー・アンドリュースのミュージカル映画を何度も見に行きました。
相変わらず、制服を着て・・・。
先生のブログで、尼崎の映画館の記事を拝見して、とても懐かしかったです。
地理に疎いので、現在の場所が判りませんが、日活の青春映画もよく見に行きました。
久しぶりに、懐かしく色々思い出しました。有難うございました。
日活については、あまり見たことがなく、どこの映画館かわかりません。
国道沿いに花月劇場があったので、第一か第二花月かなあ。
尼崎も昔は活気がありましたが、最近の凋落には驚きます。
東洋劇場、OS劇場の前の道はすごく人がいたのですが、
コメントを投稿