ちょっと恥ずかしい大会である |
弘前に来て驚いたことの一つに、“職場対抗 名士かくし芸大会”という催しがある。弘前の経済、文化の著名人が集まって、年の暮れ12月に行う。今年で37回というので、それほど古い大会でもないが、会社の社長さんやお偉いさんが、普段威張っているが、この大会でおどけた姿を見せて皆で楽しもうという趣旨であろう。もちろん歳末チャリティーという名目があり、収益はどこかに寄付するのであろうが、自分たちを名士と呼んでいる段階で、すでにかなり古臭いもので、戦前くらい、少なくとも1970年代くらいまでであれば、何とかこうした趣旨の大会も成立したと思うが、1980年代になって、誰が考えたのか、大会を行い、それが37回も続くとは驚く。弘前市民会館大ホールという定員1300名くらいの会場で、1500円の入場料をとり、審査員がいて、大賞、弘前市長賞などもあり、青森県知事や弘前市長も仮装して参加することもある。流石に最近は、職場対抗と銘打って、会社の従業員の参加も増えたが、そもそもは会社のお偉いさんが出る大会である。今時、日本でも名士という言葉は死語となっているし、会社の忘年会で隠し芸をすることもなくなった。
こうした大会が行われる背景として、一つに弘前市のスノビズムがあるようだ。もともと士族の町として港町の県庁所在地、青森市をバカにするような気風があり、さらに維新後も、士族を中心とした社会が築かれていたので、士族階級を中心としたスノビズムがあった。例えば、昔の弘前図書館長は代々、士族出身者で、利用者が生意気な口をきけば追い出したという。またサムライ言葉というものが存在し、津軽弁でも独特の言い回しが有ったという。流石に今はこうしたことはないが、一方、今、これを継承しているのが、弘前商工会議所とその弟分の青年会議所であり、ここの上層部のメンバーを中心としたスノビズムとヒエラルキーが今でもある。先輩—後輩関係、関連企業の上下などである。県庁所在地の青森市と違い、弘前市では地場の店が多く、店の歴史も長い。こうした会社の人が商工会議所を牛耳り、さらには弘前市の観光コンベンション協会でも役員のほとんどが、またロータリークラブ、ライオンズクラブ、倫理法人会、異業種交流グループなども商工会議所の人が多い。弘前市役所との関連も強く、ある意味、こうした集団の同じメンバーが結婚式、葬式、忘年会、新年会、飲み屋などでしょっちゅう交流している。同じメンバーが週に2、3回会うのも珍しくない。 個人的には立派で尊敬すべき人も多いのだが、なにしろいつも同じメンバーで動いているので、どうしても独善的になりやすい。私も以前、弘前ロータリークラブに20年ほどいたので、そのころはそこそこの付き合いがあったが、辞めると商工会議所に入っていない私にはほとんど接点がなくなり、会うこともなくなった。ある意味、特殊な集団で市長選や市会議員選挙で大きな力を持つので、市に対する影響力も強い。もちろん商工会議所のお偉いさんは、各職業別の組合のトップであることも多く、その集団のヒエラルキーの頂上にいる。弘前市のこれ以外の影響力を持つ集団は、弘前大学と医、歯、薬の三師会があり、商工会議所のメンバーからすれば、前者は全く無視、後者とも仲は良くない。さらに弘前大学で言えば、普通の学部の教授はただの研究者で、弘前市、弘前市民との接点もほとんどないが、医学部の教授が医師会と関係して影響力を持つ。また商工会議所の上下関係が縦糸とすると、横糸には学校閥、弘前では弘前高校と東奥義塾閥があり、両者の同窓会は対立している。こうした商工会議所—市役所を中心とする縦糸と高校閥が横糸となって、弘前のいわゆる名士と呼ばれる集団が形成されており、こうした傾向は多かれ少なかれ、日本中の中小都市で見られる現象であるが、弘前市ではもともと県外者に対する警戒、言葉の違いから受け入れにくい体質があること、さらに県庁所在地であれば、全国規模の会社の支社、支店があり、県外者の流入も多いが、ここでは弘前大学関係の職員、学生以外の県外者の流入は少なく、勢い弘前で生まれて、育って人が大多数となり、それがまた県外者の阻害につながる。 明治のジャーナリスト、陸羯南の有名な詩に“名山出名士 此語久相伝試問厳城下 誰人天下賢”がある。岩木山という名山があるが、ここには本当の名士がいるのかという反問である。陸さん、心配いりません、弘前では名士かくし芸大会が毎年開催できるほど、名士がたくさんいるところです。 |
弘前市長も出ています |
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