2021年3月11日木曜日

40年前と変わった?

 

私たちが初めて中国、昆明市に入った観光客なので、市民は外国人みたさに大騒ぎでした。

万里の長城も空いていました(1980.4)、服はノースフェイスの60/40マウンテンパーカー



 すべてのものは、新たに発明され、それが実用化すると急速に進歩していくが、その後の進歩は緩やか、プラトーになる曲線を描く。例えば、ライト兄弟が初飛行したのが1903年、その後、1914年の第一次世界大戦では、飛行機は飛躍的な進歩をとげた。戦闘機として数年で一気に性能が高まり、主要な兵器となった。さらに第二次世界大戦を通じて、さらに発達し、プロペラ機としてアメリカ陸軍のムスタングD型で限界に達して、ほぼプラトーとなった。戦後、ジェット機が新たに登場し、これも瞬く間に進歩したが、速度としては1966年に運用開始したSR-71、ブラックバードのマッハ3が最高となる。それから55年、ステルス機などが発明されたが、速度としてはこれ以上の飛行機はない。同様にボーイング707が登場したのは1957年であるが、それ以降、60年間、旅客機としての大きな発展はない。

 

 今から40年前の1980年頃の日本はどうだったのだろう。1980年の音楽というと、売れたのは寺尾聡の「ルビーの指輪」であるが、いまだに残っている曲としてはユーミンの「守ってあげたい」、松田聖子の「風立ちぬ」、「夏の扉」、山下達郎の「ライドオンタイム」などがあった。現在、世界中で流行っている日本のシティーポップも、この時代のものだが、それほど古臭さはない。1980年代の40年前といえば、軍歌や古賀政男の演歌の世界で、古臭い。こうした意味ではポップ音楽も1980年頃からそれほど進歩していないのかもしれない。ファッションも同様で、1980年代に流行ったスニーカーや服は今でも好きな人は多い。こうしたことから、これからの40年後、すなわち2060年の世界はどうかといえば、服装や住む家、あるいは音楽もそれほど今と変化はないのかもしれない。映画バックツーザフューチャーでは、主人公がタイムマシンで1989年から2015年の未来に行く。そこでは空中を走る車が見られるし、服もなるほど未来服のようなものを着ていたが、実際の2015年は1989年とあまり違わない。映画“2001年宇宙の旅”では自由に宇宙ステーションに行けたが、2021年現在になってもそうしたことすらできないし、映画“ブレードランナー”に描かれる2019年なってもレプリカントと呼ばれる人造人間はいない。昔の未来予想図も含めて予想はほとんど外れている。これはすべてのものがプラトーになる原理を理解しないで、未来予測をした結果であり、確かにアポロ11号が月面着陸した1969年の勢いでいえば、2001年になれば、宇宙空間に誰でも自由に行けそうな気がするが、実際にここでプラトーの法則が効く。多分、あと100年くらいしても月面基地、火星基地の建設はよほどメリットがなければ、実現しないかもしれない。

 

 ただ1980年と2020年の一番大きな違いとインターネットとスマホであろう。1990年頃にはインターネットの萌芽があり、本格的に利用されるようになって25年くらいになるが、これがコンピュータのみでの利用であれば、これほど日常生活を根本から変えることはなかった。やはりアップルの発明したI-phoneはコンピュータを屋外の出した以上に大きな価値をうみ、個人の日常生活を大きく変えた。I-Phoneが発明されたのが2007年、すでに14年たち、これもどこかでは限界、プラトーになると思う。現行のI-phone12と初代とは原理はそれほど違わないことからすでにプラトー化しているのかもしれず、そうなるとネット社会もそろそろ限界かもしれない。

 

 孔子(BC552)、釈迦(BC565)、ソクラテス(BC469)が活躍したのが約2500年前であるが、いまだにこうした思想は古びておらず、現代人に大きな影響を与えているところを見ると、人間自体、それほど進歩したおらず、等にプラトー化しているのだろう。であれば、2000年後の人類も滅びていなければそれほど違わないはずである。それにしてもキリストを除く四聖人のうちの3人が100年以内で生まれたのは奇跡的である。

 

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